【第266話】ベロと尻尾

 ウシツノは躊躇ちゅうちょしなかった。

 窓から身を投げだすと一瞬、下からの強い風の煽りを受けて身体が上昇した気さえした。
 瞬間的にタイランの教えが脳内をちらつく。

「風と一体になれ」

 恐怖で縮こまることなく、目一杯手足を広げ風を受け止めようとした。
 あれほど重かったシオリの剣も、今はまるで羽のようだ。
 シオリの羽が、ウシツノに浮遊感を与えているのかと錯覚までする。
 そこまで来ると不思議なもので、夕日によって眼下に広がる赤い景色の遠く、地平の彼方までがよく見える。
 手を伸ばせば届きそうなほどに。

「フンッ」

 だがいつまでもそうしているわけには行かず、ウシツノはシオリの剣を振りかぶると、落下と平行に走る塔の外壁に剣を突き立てた。
 ガガガガッ、と堅固な外壁を斬り砕きながら、数メートル下った地点で宙吊りのまま制止した。

「ふう」

 周りを見渡し跳び移れそうなポイントを探す。
 隣の塔だろうか。
 少し離れた位置に窓がある。
 壁を蹴ればカエル族の跳躍力で十分届くだろう。
 暫時、風が止むのを待ち、その間に気持ちを作る。

「よしッ」

 風が止むと両手で剣を引き抜き、同時に両足で壁を蹴った。
 びよぉぉん、と擬音が聞こえそうな、見事な放物線を描きながら目的の窓へと跳び移る、その直前で、

「つっかまえたァ」
「ッ!」

 ガシッッッ! と、窓を目前として突如目の前に割って入ってきた桃姫に捕まってしまった。
 ウシツノを追ってマユミも塔の外へ飛び出していたのだ。
 ウシツノの正面に舞い降りたマユミは胸に飛び込んできたウシツノを強く抱きしめた。

「むぎゅぅ」

 マユミの胸にウシツノの顔がうずまる。
 逃がさない、と、口と鼻をマユミの豊満な胸に圧し潰され、みるみるウシツノの顔が赤くなる。
 ジタバタと手足をもがくが押さえ付けるマユミの力は強く、どうしても振りほどけない。

「アハハ、ジッとしてよ。くすぐったいじゃない」

 背中のコウモリの羽根をゆっくり羽ばたかせながら少しずつ上昇する。

「ん、んん……」

 もぞもぞと顔を動かすウシツノ。

「ゲコォーッ」

 なんとか顔を上向かせて胸の圧迫からのけぞると、至近距離から長い舌を伸ばし鞭のようにマユミの顔を殴打した。
 不意を突かれたマユミは突然の平手打ちのような痛みに瞬時に怒りが湧く。
 ウシツノはなおも舌を振るい、今度は逆から殴打しようとしたが、その舌にマユミの細い尻尾が絡みつき、その動きも封じられた。
 長い舌と尻尾が妖しく絡み合う。
 舌を締め付けられる痛みにウシツノの顔がゆがんだ。

「ひどいことするのね」
「ゲゲ、コ」
「顔をベロで殴られるなんて、初めての体験よ」
「ゲ、ゲ」
「舐めたことしてくれたわね……ベロだけに……プッ」
「……ゲコ?」
「あはははっ、ベロだけにって。なにそれぇ、あははは」

 ウシツノにはなにが可笑しいのかわからなかった。

「いま思い出したんだけどね。小学校のとき、クラスの男子がカエルを一匹捕まえてきたの」

 小学校がウシツノにはわからない。

「それでね、三階だった教室の窓からそのカエルをね、地面に向けて落としちゃったのよ」
「……」
「カエルって高く跳ぶじゃない? 三階から落ちたカエルが無事だったのか、それともペシャンコになっちゃったのか」
「……」
「休み時間になって私ね、探しに行ってみたの。だけどみつからなかった」
「ゲコ……」
「それってさぁ」

 マユミがゆっくりと抱きしめていた力を緩めていく。

「カエルが小さすぎて死体が見つからなかったのか。それともカエルは無事に着地して、どこかへ行ってしまったのか」

 舌に絡みついたマユミの尻尾だけでウシツノは宙吊りにされた。

「ここでもう一度、試してみようか」

 届く範囲には窓も壁もない。
 高さも何十メートルとある。
 天をも衝かんばかりの王城ノーサンブリアだ。
 このまま落とされては助かる見込みはない。

「ゲッコゲコ」
「なぁに? なに言ってるかわかんない」

 スルスルスル、とマユミの尻尾が緩んでいくと、ウシツノの長い舌が解放されていく。
 支えを失ったウシツノの身体が落下しはじめた。

「ゲッコォーーッ!」

 それは苦し紛れだったかもしれない。
 持っていたシオリの剣をマユミに向けて振り上げていた。
 刀身の長いシオリの剣は十分なスピードでもってマユミの顔に迫る。

 バチィッ!

「ギャッ!」

 その瞬間、強烈な破裂音が響き、マユミとウシツノは弾き飛ばされた。
 何が起こったのか、ウシツノには皆目見当がつかなかったが、これ幸いと弾かれた力に逆らわず、吹き飛ばされるままにした。
 上手い具合に塔へと近付くと再びシオリの剣を突き立てて外壁にへばりつく。
 少し上方を見る。
 マユミはウシツノとは反対側に弾かれたが、依然コウモリの羽根を広げて上空にいた。

「まただ……またこのマスクが」

 マユミは目元を覆うマスクをさすっていた。
 エルフの女王ト=モに着けられたもので、呪われているのか、どうやっても外すことはできない。

「白姫の指先が触れた時もこうだった……」

 半月ほど前だろうか。
 ケンタウロス族の集落〈槍の穂先〉に夜襲をかけたとき、覚醒したシオリに言われたのだ。

『あなたは呪われています。今のあなたは本来のあなたではない』

『そのマスクね、呪いの元は』

「私が呪われているですって? 姫神なのよ、私は」

 マユミがウシツノの姿を認める。
 その目には戸惑いを覆い隠すための怒りが見える。

「余計なことをしてくれたわね」

 マユミが龍騎ハイドライドを振り回し始めた。
 十数条の鞭が暴竜の如く唸りを上げる。

「超龍騎ハイドライド・スペシャルッ」

 ボゴォッッッ!

 長く伸びた十数条の鞭により、ウシツノのへばりついた塔の上層部が破壊された。
 多くの瓦礫が落下してくる。

「ウォッ」
「潰れて藻屑となるがいい」

 慌ててウシツノは突き立てたシオリの剣の峰を足場にして立ち上がった。
 背中と腰から二本の刀を抜く。
 右手に愛刀の自来也、そして左手には剣聖の使っていた妖刀、果心居士を構える。

「でぃやぁッッッ」

 降り注ぐ瓦礫から身を守るため、ウシツノは二本の刀を素早く薙ぎ払った。
 一歩踏み外せば奈落の底へと落下する。
 刀を振り切ることができねば、瓦礫の重みに叩き落とされる。
 ひとつ払っても次に間に合わなければ、結局瓦礫に叩き落とされる。
 疲れを感じる暇はない。
 恐怖を感じる暇もない。
 ひとつひとつ、仕損じることなく、今この瞬間を切り抜けるために、二本の剣で薙ぎ払い続けた。

 ドッバァァァ!

 ひときわ大きな破壊音がした。
 今までで最大級の大きさ。
 塔の上層部分の外壁が、まとまったまま大きな残骸となって崩落してきた。

 ゆで卵の殻がきれいにすっぽりと剥がれたとき。
 
 ウシツノはその瞬間、そんな連想をしてしまった。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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