インバブラの悲鳴で全員が跳ね起きた後、シオリとレイは野営地に留まり、皆が戻ってくるのをじっと待っていた。
それはそんなに長い時間ではなく、せいぜい五分も経っていなかったはずだ。
しかし二人にはそれがとてつもなく長い時間に感じられた。
明かりも消え、一切の闇に覆われた森の中、五月蠅かった蝉の声もいつしか消えている。
どちらからともなく、二人は寄り添ってお互いの体を抱きしめていた。
今はお互いの体温と呼吸音、心臓の鼓動だけが感じ取れ、唯一の拠り所となっていた。
それがあるうちはまだ大丈夫。
まだ堪えられる。
シオリは何も見えない暗闇の中で、ひたすらレイの存在だけを頼りにしていた。
その二人が突然引き離された。
力任せにレイをもぎ取られ、シオリは一瞬闇の中で孤立した。
そしてすぐに疑問が湧いてくる。
誰かに引き離されたわけではない。
周りに誰もいなかったし、近付く気配もなかった。
そこで異常に気が付いた。
レイの存在だけではない。
シオリの足元にあったはずの固い地面も存在していない。
「ッ!」
シオリは恐怖で息をのんだ。
全身に絡みつく、蛇のように蠢く何かを察したからだ。
それは蛇ではなかった。
蛇ではなかったが、それ以上に信じられないモノだった。
シオリとレイの全身に、いつの間にやら無数の長い、植物のツタが絡まっており、そのツタに引っ張られた二人は瞬く間に樹上に吊り上げられていたのだ。
「キャアーーーーーーーーーッ」
「レイさあん!」
叫んだ途端、シオリの口いっぱいに一本のツタが突っ込まれた。
太く蠢く長いツタが容赦なくシオリの口内を突きみ、思わずえづいた所でようやく止まった。
しかしツタは引き下がることもなくそのままシオリの口内を占領したため、声も出せなく目尻には涙が浮かんだ。
そのまま全身をツタに絡まれたシオリは、強い力で引っ張られ、樹上を木から木へと移動させられた。
暗闇の中、レイの姿も見失った。
先ほどまで拠り所としていたぬくもりが消失してしまったが、そのことが別のモノに気付かせてくれた。
シオリは無意識のうちに白の剣を掴んでいた。
布を巻いて持ち運んでいた白の剣を強く握っていた。
どうするべきか、何が出来るのかを、混乱した頭で整理しようと努力した。
どれほどの距離を移動したのか。
唐突に森から開けた場所へと飛び出すと、ここまで静かにさらわれたシオリは目の前にこのツタを操る主の姿を発見した。
そこは一面の花畑だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、月の光に照らされている。
今まで漆黒の闇にいたためか、月光がこんなにも眩しいものだったとは知らず、思わずシオリは眼を細めた。
それでもツタの主の威容は目に焼き付いた。
花畑の中心に、そいつは月光を浴びて不気味な花びらを広げて待っていた。
それはとてもとても大きな不気味に蠢く花だった。
無数のツタを触手のように蠢かしている。
一軒の丸太小屋程度もある大きな植物が蠢いていた。
人間が両手を目一杯広げるように、黄色い花びらを何枚も広げて立っている。
中心には大きな穴がぱくぱくと開閉を繰り返し、そのたびに花粉らしきものが空中に散布される。
驚いたことに、先にここへ連れてこられたのはレイだったようで、レイはその穴に今しも飲み込まれようとしていた。
「…………ッ」
叫ぼうとしたが口に突き込まれたツタのせいで声を出せない。
恐怖に喘いだレイが必死に外へと手を伸ばしていたが、その抵抗はあまりに非力だ。
まさかという思いに驚愕しながら、シオリは目の前で巨大な花に飲み込まれるレイの姿を見ていることしかできなかった。
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二人は樹上から連れ去られたと考えたウシツノとアカメは暗い森の中を走り続けた。
しかし先を走るウシツノは目印のない追跡行に焦りを禁じえなかった。
「アカメ! どこへ向かえばいいんだッ」
「わかりませんよォ! まだ敵の正体も不明なのですよォ」
「チッ」
「樹上を移動し女性をさらう。でかいサルでもいるのでしょうかね?」
「サルなら鳴き声ぐらい聞こえてもいいだろ」
わめきながら走る二人に赤い影が追い付く。
タイランは狼狽しているカエル族の二人に立ち止まれと指示をした。
「タイラン殿」
焦るウシツノを手で制し、立ち止まったタイランは周囲をぐるりと見回した。
「月が出ている。私が上空から周囲を探ってみる。しばし待て」
二人の返事は待たずにタイランは大きく羽ばたいて上空へと跳び上がった。
折り重なる木々の梢を超え、月を背景にした闇夜に赤い翼が浮かび上がる。
上空から眼下を見渡したタイランは森の中にひとつ開けた場所があるのを見つけた。
そこは色とりどりの花畑だ。
その花畑の中心で、巨大な動く影がいた。
何本もの蛇のような触手が月明かりの下で蠢いている。
急降下して今見た光景をウシツノとアカメに伝えると、再びタイランは飛び立った。
「北東の方角だ! 私は空から先に行く」
その様子に余裕は一切感じ取れなかった。
ウシツノとアカメは顔を見合わすと一目散に駆け出す。
「走れアカメ! 相当ヤバい状況みたいだぞ」
「そのようですッ」
二人とも行き先からほのかに甘い香りがしてきたことにも気付かずに走りに走った。