【第50話】恐怖

 崩れた家屋は破壊の跡を生々しく残していた。
 荒らされた田畑には腐臭が混じる。
 積まれた藁束や刈り入れられた農作物の代わりにおびただしい数のカエル族の死体が積まれていた。
 見るに堪えない光景はすべてそのままに、トカゲ族の軍隊は依然カザロの村に駐留していた。
 暴走した紅姫の襲撃から二日以上経過した。
 村中に燃え広がった火はとうに鎮火していたが、家屋の木材や雑木林、草木や家畜の糞まで焦げた匂いが充満したままだ。
 トカゲ族は紅姫に殺された同胞の遺体は埋葬したが、カエル族はいまだ放置されている。
 当然何体かは炎の被害に遭って炭化していた。

 陽は中天を差し、初夏の暑さが残火の微熱と死体の腐臭と合わさり村中に不快感を漂わせている。
 処理させるにも部下の人手は圧倒的に足りなかった。
 トカゲ族の兵士の数は紅姫によっていつしか物足りない数にまで減じていた。
 だがモロク王はさして気にしていなかった。
 兵の補充は本国に通達してあるし、さしあたっての脅威もない。
 黒姫に逃げられたとはいえ、彼女のために存在する黒の剣はまだ手元にある。
 トカゲの王は村の中心に張られたひときわ大きな天幕の中で、かれこれ一時間以上もその剣を見つめていた。
 紅姫襲撃時を思い出し、身震いする。
 あの時この剣から発せられた闇の衝撃波にあてられて、不気味な恐怖感が心身を貫いたのだ。
 今もあの氷の刃で刺し貫かれたような一瞬を拭い去れずにいる。
 忘れていた感覚でもある。

「この俺が戦場で、まさか恐怖に怯むとはな」

 紅姫の圧倒的な火力を前にしても恐怖などは抱かなかった。
 むしろその鮮烈さに感動すら覚えた。
 だが、黒の剣による波動は違った。
 一切の道理を捨て去り、恐怖心だけを植え付けられた。

「黒姫、か……」

 姫神を利用し覇王となる。
 この辺境を統べ、やがては全世界を手中に収める。
 大戦で英雄と言わしめたこのオレも老いには勝てぬ。
 覇道も道半ばとあきらめかけていたが、魔女の術によって再び若さを取り戻せた。
 今は全盛期の活力がみなぎっていると言える。
 あの魔女めが何を企んでいるのかは知らぬし、我らをどう利用しているのかも知らぬ。
 だがそんなことは構わぬ。
 オレも奴と、姫神を利用していることに変わりはないのだ。

「だが、気に食わん」

 思わず声に出る。
 あの恐怖心だけは気に食わない。

「黒姫でなくても構わんのではないか?」

 そんな考えが浮かんでくる。
 魔女は必要以上に黒姫に固執しているが、姫神は他に六人もいるのではないのか。

 そうした思考に浸る時間が終わりを告げた。
 モロク王の背後に突如として黒い靄が生まれた。
 いや、それは靄ではない。
 穴であった。
 何もない中空に穴が広がり、そこから一匹のカエル族が飛び出してきた。

「ぶはあッ」
「な、何奴だ」

 驚き振り返ったモロク王は腰の大剣を鞘から抜きはなった。

「ひぃッ」

 カエル族も驚き腰を抜かす。
 インバブラであった。
 すると穴から続けてトカゲ族とニンゲンの娘が這い出てきた。

「む、ボイドモリか」

 モロク王の前に満身創痍のボイドモリまでが現れた。
 すると穴は静かに閉じ、そこにはもうなにもなくなっていた。

「こ、これはモロク王! ボイドモリ、ただいま帰還いたしました」

 慌ててかしこまるボイドモリと配下のトカゲ族よりも先に、モロク王はニンゲンの娘を改めた。

「黒姫だな。ボイドモリ、任務を果たしたようだな」
「ハッ」

 一層平伏しかしこまるボイドモリだが、慌てたせいか傷口が開き血が床にしたたっていた。

「よくやった。だが部下はどうしたことだ。これだけか?」
「も、申し訳ございません! 少々てこずりまして……その、貴重な兵をむざむざと」
「よい。黒姫を連れてきたので十分だ。本国から増援も来るしな」
「ありがとうございまする」
「貴様も手当をするがいい。まだまだ働いてもらわねばならぬのだからな」
「ハッ。このボイドモリ、モロク王の為とあらばッ」

 ボイドモリは感激し、心からモロク王に敬服した。
 そのモロク王は部下に特段感慨もなく、ようやく最初に現れたカエル族に関心が向いた。

「で、貴様はなんだ」
「あ? オ、オレ様はインバブラ様だ」

 精一杯の虚勢を張って自己紹介をした。
 無理やり連れてこられたとはいえ目の前に敵の大将がいる。
 ピンチはチャンスを作り出す。
 過去、成功の味を占めたことは一度もないが、今回もそうだとは限らない。

「へ、へへ」

 口から出まかせでもいい。
 なんとかして取り入ろうとインバブラは画策した。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」先行掲載、鋭意連載中、「ノベルアッププラス」には467話(更新停止)まで掲載されています。

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