【第117話】魔女と女王

 その部屋はそれなりの広さはあるものの密室で、窓と呼べるものは天井にある小さな天窓ぐらいであった。
 室内は焚かれた香によるものか、妖しくもやがかっている。
 その中で二つの息遣いが流れる。
 たゆたう煙を吐き出すキセルが、美しく淫らなエルフの女王の口元に。
 白い肌と亜麻色の髪に尖った耳、黒いボンデージの上に赤く艶光る着物を羽織っている。

 エルフの女王にして、このマラガの街の盗賊ギルドを仕切る長、ト=モは少々興奮気味にベッドを共にする者を攻め楽しんだ。
 ふちに腰かけたト=モは傍らの、これまた華奢で色白な、金髪の美青年を見つめていた。
 一糸まとわぬ姿のまま、青年は四肢を伸ばした形でベッドの支柱に括りつけられていた。
 乱れた長い金髪が汗で首筋から胸板へと、まるで枯れた茨のように全身に絡みついている。
 目隠しまでされ視界を奪われた青年は、長であるエルフの女王によってもう長いこと弄ばれていた。

 エルフと人間では時間の概念そのものが違うのだろう。

 そうした思いに囚われ、時の経過に鈍感になっていた青年の耳に、ようやく女王からその時を告げる声が届いた。

「チェルシー、そろそろ二明の刻じゃ」

 青年の名はチェルシー。
 盗賊ギルドの幹部のひとりで、絶世の美女装者である。
 彼には裏で亡国の王子ではないか、という噂もあった。
 ト=モは視界を閉ざされたチェルシーの胸板に、革手袋に包まれた細い指を這わせ、ゆっくりと数字の「2」の形になぞった。

「さ、作戦開始の、時刻でございます」
「そうじゃな」
「……我らの仕事を邪魔した、五商星ヒガ・エンジを粛清する、それほど難しい事ではないでしょう」
「たぶんな」
「……なにを、ご心配なされますか」
「心配?」
「はい……今宵の長は、いつもと違います。まるでなにか、不安を押し隠そうとしているかのように…………」

 チェルシーは言いよどむ。

「どうした?」
「……激しいと、感じていました」
「はははは。ちがう、そうではない。逆じゃ」

 ト=モが愉快に嗤った。

「ぎ、逆と申しますと?」
「高鳴っておるのじゃ。これからの世界の変わりようを思ってな」
「……」
「件の炎使いは間違いなく姫神じゃ。それも七人の中で最も凶暴な紅姫じゃろうな」
「うかがっております」
「姫神は数百年に一度、集い現れる。そして最後に残った者がその世界を〈造り替える〉力を手にする」
「……」
「姫神とはな、新しい世界を創造するための七つの道標みちしるべなんじゃよ。誰が残るかでその後の世界も左右される」

 ト=モはそう言うやキセルの灰をチェルシーの胸に落とした。

「ッ!」

 突然のヒリつく熱さにもチェルシーは声を出さずにこらえた。

「熱いか? 火竜を宿す紅姫の炎獄はのう、〈破壊の道標〉じゃ」
「破壊……」
「新世界は破壊した先にこそある、ということかの」
「そうなのですか?」

 チェルシーの声音に喜びを感じ取ったト=モが微笑んだ。

「お前はこの世界が嫌いだろうからな。紅姫に共感してしまったか」
「しかし、その紅姫といえど今宵の襲撃により、今頃は」
「それで落ちるとあればその程度の破壊、世界を変える力とは呼べぬだろう」

 その一言はチェルシーに向けて放ったというわけではなさそうであった。

「長……あなたはいったい……」
「待て。どうやらお客人のようじゃ」
「客?」
「いつまで隠れておるつもりじゃ? 今宵はもう終了ぞ」

 ト=モが部屋にひとつしかない天窓を見上げて言った。

「そうなの? 残念」

 女の声が答えたと同時に外側から天窓が破られた。
 砕けてキラキラと部屋の光を反射する細かなガラス片とともに、ひとりの女が室内に降り立った。
 長い金髪に黒いマント。
 全身をぴっちりと覆う黒革のコスチューム。
 そして開いた双眸もまた怪しく金色に光り輝いていた。

「ほう、見覚えのある顔じゃな。たしか、貴様も姫神ではなかったか? 名はたしか……」
「オーヤ。久しぶりね、エルフの女王。まだご存命とは」
「長命は我らエルフの代名詞ぞ。しかし貴様……あれから何百年経つ? 前回の姫神はとうに絶えたと聞いたが、迷い出たか?」

 フフ、と嗤いながらオーヤはト=モとチェルシーのいるベッドへと歩み寄った。
 ト=モとは寝台に縛られたままのチェルシーを挟んで向かい側に腰を落ち着ける。

「幽霊なんかではないわ。私もまだ生きてる」

 そう言いながら青年自身をそっと右手に包み込む。

「あら、肝が据わってるわね」

 オーヤはチェルシーの視界を奪う目隠しをそっと外し、露わになったその顔をしげしげと見つめた。
 何時間ぶりかの開けた視界に、薄暗いこの部屋でさえ眩しく感じる。
 眉間にしわを寄せたチェルシーの顔には苦悶と恍惚が入り混じっていた。

「綺麗な顔してるわね。人間らしくないわ」
「幽霊でないならなんなのじゃ?」
「この彼を私にくれるなら教えてあげてもいいけど」

 黒革に包まれたオーヤの指が怪しく蠢いている。

「貴様は黒姫であったか? なるほど、不死の果実か。それで今までどこぞに潜んでおったか」

 オーヤが右手を強く握りしめる。
 チェルシーが思わず呻くが意に介さない。
 その顔には怒りの表情が滲んでいた。

「私はこの時が来るのを待っていたのよ。あれから四百年、ようやく次の姫神たちがこの世界に現れた」
「そうか、あれからもう四百年も経つか」

 ト=モの瞳にオーヤを憐れむ光が見て取れた。

「四百年、お前たち姫神が敗れ去ってから、すでに四百年か……」

 エルフの女王の瞳に憐憫が、黒革の魔女の瞳に憎悪がわいた。

(四百年? 敗れ去った? 一体なんのことだ?)

 チェルシーの中で疑問ばかりが渦巻いた。
 だがそれも唐突に中断された。
 室内のドアを叩く音がして、ひとりの猫耳族ネコマタが飛び込んできた。
 彼女もギルドに所属する盗賊である。

「長、大変です! はっ!」

 飛び込んできたネコマタがオーヤの姿を見て警戒する。
 だがト=モはそれを気にした風もない。

「かまわぬ、申せ」
「は、はい! それが、スラム街のど真ん中に、突如トカゲ族の軍隊が出現しまして!」
「軍隊?」
「はい! それはもうわらわらと! どこから湧いて出たのか次々と数を増やしています!」

「アハハハッ」

 笑い出したオーヤを見てト=モが得心する。

「貴様の仕業か」
「宣戦布告、私の復讐の狼煙のろしをこの街で上げさせてもらうわ」

 オーヤが力を抜き、右手をト=モに向けて振った。
 反射的に顔前に手をかざしたト=モは自身の手の上に粘ついたものを察知した。
 そのたった一瞬目を離した隙にオーヤは天窓をくぐり抜けて行ってしまった。

「プレゼントよ」

 そう言い残した声だけが強風に乗ってト=モの耳にまで届いた。

「……ふん」

 寝台のシーツで手を拭いながら、ト=モはネコマタに逃げた魔女の行方を追うよう指示を出す。
 とはいえ期待はしていなかった。
 ネコマタが部屋を出ていくと立ち上がり、チェルシーに向かい、

「残念じゃが、この街は今日で終わる。ギルドも解散じゃ」
「なっ!」

 ト=モは彼をそのままに寝台を離れた。
 乱れた夜着のまま部屋を出て行こうとする。

「お、お待ちください! 我らはどうすれば」
「好きにせい。じきに姫神たちによる創世の戦いが始まる。好きな道標につくがよい」
「道標……?」

 それだけを言い残し、長ではなくなったエルフの女王は、戸惑う青年の前から静かに姿を消してしまった。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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