【第118話】死者たちの侵略

 スラム街にあるひとつの廃屋、その中は今、異様な光景を生み出し続けていた。
 建物自体はとりたてて特筆すべき点は見当たらないが、元々はなにがしかの大型商業施設として使われていたこの建物の間取りは広い。
 大勢が歩き回れるほどの広さを持った空間は、かび臭いシーツや生ゴミが散乱していた。
 もはや持ち主のわからないこの元商業施設は、多くの不労住民の寝床として終末観を漂わせていた。

 しかし今はその者たちも死体となって隅に転がされていた。
 どの死体も揃って刃物による致命傷を受けて絶命していた。
 彼らの命を奪った者たちは広間の中央にたむろしていた。
 血と肉片を滴らせた剣を持つトカゲ族の戦士たち。
 その中心には身を固くし、黒い剣を両手で握り、うつむいたまま微動だにしない深谷レイがいた。
 左右にはトルクアータとマラカイトも立っている。
 その彼らの目前にヒトがひとりずつ通り抜けられる大きな穴が開いていた。
 壁ではない。
 目の前の空間に、黒い穴がぽっかりと、穴はこの暗闇の中でもはっきりとわかるほどに黒い穴が開いていた。
 その空間に開いた穴から今、続々と不気味な集団が這い出してきていた。
 その光景にトルクアータは知らず歯を喰いしばり、込み上げる恐怖、嫌悪、驚嘆を抑え込んでいた。

「しかし、これは驚いたな、マラカイトよ」
「ああ。これが魔女の言っていた門、ゲートというもののようだな、トルクアータよ」

 黒い穴の形をしたゲートから大勢の同胞が這い出てきた。
 ただし彼らはとても異様であった。
 生気がなく、身に着けた武具も、身体も、すべてが傷だらけ、あるいは腐りかけなのである。

「この者たちは、その、なんだ。不死者アンデッドというのであったか?」
「そうだ、トルクアータ。この者たちはカザロ村で死んだ我が方の兵たちだ。だがトカゲ族だけではない。ほれ見ろ、カエル族あいつらもだ」

 穴からはトカゲ族の死人ゾンビーに混じってカエル族の死人ゾンビーも続けて現れていた。

「不死の軍団。これが黒姫の力か」

 トルクアータは眼前でうつむいているレイのことを見下ろした。
 このはかなげな人間の小娘に似合わず、なんとも恐ろしい力であることか。
 一息にへし折れそうな細い首を見て、この娘がモロク王を一撃で仕留めたという話がいまだに信じられない思いであったが、今ではその復讐を企てようとは微塵も思えなかった。
 やがてゾンビーどもはこの建物内に収まりきらなくなり、押し出されるように外へと出ていき始めた。

「こやつら、命令は聞くのか?」
「さあな。我らには無理だろう。魔女めはどこへ行ったのだ」

 最初に穴から出てきたのは魔女オーヤだった。
 レイと、トカゲ族が駐屯している西の大陸、カザロ村との間を行き来できるこの時空の穴を開き、自らが先陣を切ってやってきたのだ。

「知らぬ。出てくるなり我らに待機を命じ、自分はどこかへと行ってしまった」
「勝手なものよ。奴の目的は何なのだ」
「我らトカゲ族の栄光……などというわけはなかろうな」
「今はお互い利用し合うのみか。先に用済みになるのは果たしてどちらか……」

 そこまで言ったところでトルクアータとマラカイトは身を固くした。
 穴からついに二体の巨体が現れたのである。
 ひとつはトカゲ族の王、炎天将軍モロク。
 もうひとつはカエル族の長老、水虎将軍大クラン・ウェル。
 両名ともすでに物言わぬゾンビーと化していたが、その迫力だけはいささかも衰えていない。
 思わず膝を折りかしこまってしまった。

「いい心がけだな、二人とも。対外的にはこの両名はいまだ健在ということになっている。外ではそのようにかしこまった態度をとるようにな」

 モロク王と大クラン・ウェルの後から続いて現れたゲイリートが声をかけてきた。

「ゲイリート。お前も来たのか。おお、それにボイドモリ」

 ゲイリートの後からボイドモリも顔を出す。
 これでトカゲ族の四幹部がそろったことになる。

「オレ様もいるんだがな」

 さらにカエル族のインバブラも現れ、これよりゾンビーではなく生きたトカゲ兵たちが続々と現れ始めた。

「貴様もいたのか」
「まあな」
「ゲイリート。よもやお前までやってくるとは思わなんだぞ」
「マラカイト。来たのはオレだけではない。全軍だ」
「全軍だと?」
「そうだ。我らはこれよりこの西の大陸に陣を敷く」
「なんと」
「もう帰れねえぞ。魔女はカザロ側のゲートを閉じるように設定してきたらしいからな」
「ボイドモリ」

 外から人々の悲鳴が聞こえ始めた。
 寝静まった深夜、突然このスラム街に現れたゾンビーの群れに住人がパニックを起こしているのだ。

「おい、いいのか? いきなり騒がしくなるが」
「仕方あるまい。この数だ。マラガの街中にあふれでるのは当然であろう。まあ、これも計画のうちだ」
「そうなのか、ゲイリート?」
「うむ。まずはこの街を掌握する。マラガをこの大陸での我らの橋頭保きょうとうほとするためにな」

 徐々に外へと押し出されたゾンビーどもが街全体を襲い始めた。
 ゾンビーだけではない。
 生きたトカゲ兵も外へ出ると小隊単位で移動を開始する。
 生きたトカゲ兵の総数はおよそ一万。
 それよりも多いゾンビーの数はゲイリートもすでに把握していなかった。

「しかもこの街で新たにできる死体もゾンビーとして活用する予定だそうだ」

 今やマラガの街は阿鼻叫喚の地獄絵図と果てていた。
 全軍が穴から這い出るのにおそらく二時間はかかるだろう。
 それまではこの穴の周囲を守る必要がある。
 もっとも、ここが震源地だとわかったとして、一体誰が死者の軍団をかき分けてここまで辿り着けるというのか。

「ボイドモリ、トルクアータ、マラカイト。お前たちはそれぞれ自軍を指揮して街の支配に乗り出してくれ」
「ゲイリート、お前は?」
「オレとインバブラはここで黒姫と共に待機だ。ここは我が軍の中心だが、ここまで攻め込める兵などこの街にはいないだろう」
「わかった」
「この街を仕切るのは五商星と呼ばれる大商人たちだ。でかい屋敷を見つけたら片っ端からつぶしていけ」

 三人は顔を見合わすとそれぞれの隊を率いて出陣した。

「さあて、オレ様も少しのんびりさせてもらうとするかね」

 ただひとり、カエル族の代表としてこの不死の軍団に名を連ねるインバブラがその場に腰を下ろした。
 ゲイリートはあえて何も言わないでいる。
 不快感も露わに無視されるのはいつものことで、インバブラは気分を害してはいるが干渉されないこともある意味有難かった。

「へっ」

 懐から出した酒瓶の栓を開けグイッと飲み干す。
 ともかく世界を相手にゾンビーを使う非道な戦争はすでに始まってしまったのだ。
 インバブラにはもう帰る故郷も家族もいない。
 この立場を利用してのし上がる以外、美味しい思いをする手段も思いつかないでいた。
 外から相変わらずの悲鳴や怒号が聞こえてくる。
 インバブラはそれを聞かないように努めた。
 それはレイも同じであった。
 目覚めてからこの廃屋に連れてこられ、そして瞬く間にゾンビーの群れによる蹂躙が始まった。
 数ヶ月前までは考えたこともないことが、その身に降りかかっている。
 異世界と思しき場所に飛ばされて、ゾンビーを操るというおぞましい能力まで持たされて。
 レイはずっと目をつぶり震えていた。

 ドゴォオン!

 ひときわ大きな爆発音が聞こえた。
 これもゾンビーの襲撃によるものなのであろうか。
 答えを持って魔女がその姿を現した。

「オーヤ。貴様どこへ行っていた」
「イイ男のところ」

 ゲイリートの詰問にオーヤはあっけらかんと答える。

「ふざけているのか?」
「ええ、そうよ。でもそこで面白い情報を得たわ。今の爆発音、聞こえた?」
「ああ……」
「フフ。あれ、紅姫よ。今この街にいるみたい」
「紅姫! 姫神のことか!」

 レイもハッとして顔を上げる。

「どうやら盗賊ギルドとひと悶着あったみたいなのよね。ちょうど今夜、お互いやり合ってる最中だったらしいわ」
「待て。紅姫というのは、もしや我らの駐屯地を襲った……あの火竜か」
「そうなのよ。それでせっかくだからね、我らの黒姫様にも紹介してあげようと思って」
「え?」

 オーヤの長い金髪が伸びるとレイの全身に絡みつき、抵抗する間もなく胸元へと引き寄せられてしまった。

「ま、待て。ここで姫神同士をかち合わせてなんになるのだ? 万が一何かあっては」
「何言ってるの。姫神は七人もいるのよ。早いとこ面通ししておかないとね」
「しかし」
「大丈夫よ。黒姫はね、七人の姫神の中でも最強なのよ。唯一生き残った元黒姫の私が言うんだから、間違いないわ」
「お、おい!」

 ゲイリートとインバブラ、そして控えているトカゲ兵どもが唖然としているうちに、オーヤはレイを抱きかかえて爆発音のした現場へ向かい飛び去ってしまった。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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