
出発の朝がやってきた。
日の出とともに起きだしたミナミは陽の差す窓を開け放つ。
実は昨夜はよく眠れなかった。
この街を離れる。
それはミナミにとって本格的な、この異世界での冒険の始まりを告げるものであったからだ。
そんな期待と不安の入り混じる心持ちで朝を迎えた。
開け放った窓のすぐ外に一本の木があった。
青々とした葉を茂らせ、枝振りも見事なその大木に、何羽もの小鳥が羽を休めていた。
ミナミの姿を確認した小鳥たちは可愛く朝のさえずりを披露する。
「さすが、異世界の小鳥は逃げたりしないのね」
試しにミナミは手を伸ばし指先を小鳥に近づけてみる。
すると一羽の小鳥が近付いて指先にとまり、ミナミの顔を見つめてきた。
「うふふ」
小鳥を指にとまらせたまま顔の近くまで持ってくるとミナミの顔もほころんだ。
朝の柔らかい陽を浴びながら、小鳥と戯れる純真なひととき。
「うふふふ」
「そーいうことは聖女さまかお姫さまの役割だと思うんよ」
「レッキス!」
開け放たれた扉の前で呆れ顔したレッキスの姿に驚いたミナミはつい大きな声を出してしまった。
さすがにびっくりした小鳥が空の彼方へと飛んで行ってしまった。
「ああ……もう少し、無垢なヒロイン気分に浸っていたかったのに……」
「普段物騒な大剣振り回す女が何言ってんよ」
「ひどい」
「さあ着替えて。下でみんな揃ってるんよ」
「え! 急がないと」
黄金色の幻想亭という名のついたこの酒場の二階に設けられた宿がミナミたちの常宿であった。
素早く身支度を整えてミナミは階段を駆け下り一行のいるテーブルへと向かった。
「遅かったじゃねえか、ミナミ! 寝過ごしたか」
ミナミの姿を認めたシャマンが声をかける。
「ごめんなさいっ」
ミナミは謝りながら席に着き、自分の前に置かれたミルクを一息に飲んだ。
「ミナミは朝からお姫さまごっこで忙しかったんよね」
「お姫さまごっこぉ?」
「ぶふぅッ!」
レッキスの要らぬ報告に、思わず口に含んだミルクを吹き出してしまった。
「レェッキス!」
抗議の目でレッキスを見やると、見事にミナミの口から発射されたミルクを全身に浴び、白い雫を滴らせた彼女の姿が目に入った。
ちょうど真正面に座っていたのだ。
「……なにかな? ミナミさん」
「あ、いや、エヘッ。もう許した」
「ったく、お前らなんて様だ。とっとと体洗って着替えて来い、レッキス」
「ぶぅ」
とぼとぼと二階に上がるレッキスを見ながら隣でメインクーンが爆笑している。
「お姫さまがミルク吹き出しちゃダメにゃあん! きゃっきゃっ」
「わざとじゃないし……」
「しかし、姫神と呼ばれるのだからミナミは姫君と言っても過言ではないのではないか?」
突然のウィペットの発言にみんなが首をひねる。
「こいつがか?」
「まるでそうは見えないにゃあ」
「どちらかと言えば大剣を振り回す荒くれ者だしのう」
レッキスも似たような表現をしていたのを思い出す。
「うあ、みんなひどい」
「ま、それもそのうちはっきりするだろう」
「私たちの目的は姫神について知ることね」
「それと金を儲けることだ」
「当面の目的地はエスメラルダ古王国でいいのだな?」
「そうだな」
しばらくして真新しい拳法着に着替えたレッキスが現れ、これで改めて全員の旅支度が整った。
「んじゃ、行くか」
シャマンを先頭に酒場を出る。
不安もあるが、皆それぞれに期待を含んだ第一歩を、いままさに踏み出したのだ。
ところが、である。
残念なことに二歩目を踏み出すことはできなかった。
一行が出てきた黄金色の幻想亭を、この街の憲兵共がぐるりと取り囲んでいたのだ。
一斉に手に持った剣や槍を突き出し威嚇してくる。
「あ、あ~、悪いんだが、お前たちをこの街から出すわけにはいかんのだ」
「なんだぁ、てめぇ?」
大柄なシャマンが威圧するも憲兵を指揮する男は動じなかった。
最前列で直立しているのは犬狼族ウルフマンの男であった。
真っ白いチェインメイルの上にこれまた白いコートを羽織っている。
腰には重々しい鉄球が先端に着いた柄付きの鎖武器モーニングスターが朝陽を浴びて厳めしく光っている。
黒い、毛並みの揃った自身の顔を撫でつけながら、慇懃な目つきで一行を睨みつけた。
ウィペットが仲間に耳打ちする。
「奴の名はフリッツ。オレと同じ、〈正義の鉄槌神ムーダン〉の神官戦士にして、ここシャニワールの憲兵を指揮する実力者だ」
「ほう。その神官殿が一体何の権限でオレたちの旅立ちを邪魔してくれるってんだ?」
シャマンはあえてドスの効いた声で相手を威嚇するようにすごんだ。
「五氏族連合評議連の決定だ。姫神こと金姫ミナミはこれより我らの管理下に置くこととする」
「えっ?」
「なんだとォ」
突然の沙汰にミナミは動揺し、そのミナミをかばうようにレッキスが正面に立つ。
「ちょっと! ミナミは半年前に私らが保護したんよ! 今までほったらかしといて、突然はいそうですかと渡すとでも思ってんの!」
「その娘の価値が認められたのだ。今おめおめと国外に出すわけにはいかぬ」
「なに言ってんの! 人を勝手に、そっちの物差しで測ってんじゃないよ!」
怒りに満ちた瞳をたたえたまま、レッキスが戦闘態勢をとる。
「姫神という存在を前にしては、それより価値のある者など無きに等しい。貴様らのような根無し草では、その娘の居場所としてふさわしくないのは自明」
「うっさいうっさい!」
鼻息荒く飛び掛かろうとしたレッキスをシャマンとメインクーンが何とか押しとどめる。
「なぜ急に価値を見出したのじゃ? 今までミナミについてはほとんどわからぬものだったろうに」
代わりに正面に立ったクルペオが問いただす。
「ある知恵者からの提言を受けたのだ」
「知恵者? 誰じゃ?」
「ほっほ。わしじゃよ」
「スイフト爺さん!」
憲兵隊の後方からにょきっと顔を出したのは、狐仙族ルナールの変わり者、そしてミナミを発見した際の遺跡調査の依頼人でもあったスイフト爺だった。
「あのとき姫神という名前のみ古い文献から引っ張り出すことができたのだが……調べてみると言ったじゃろう。半年もかかったがのう」
「それで、とんでもない価値が判明したので評議連に情報を売ったというわけか」
「わしとて名声は欲しい。いつまでも己を慰めるだけの研究意欲では、保ち続けるにも限界がある」
そのときふと、じりじりと憲兵による包囲の輪が狭まっていることに一行は気が付いた。
「おっと。話に集中させてる隙ににじり寄ってたか。あのクソ神官、やるなぁ」
「どうやら相手は本気らしいニャン」
「よほどの価値がミナミにはあると見える」
「そんなこと言われても、わかんないよ私」
「どうするの、シャマン?」
「どうするってよぉ」
「リーダーはあんた。すぐに決めて」
シャマンはミナミに振り向いた。
ミナミもシャマンの顔をまっすぐ見つめる。
するとシャマンがいつものようにニヤリと不敵な笑みをたたえた。
「もうこいつもオレらの大切な仲間だ。あのいけ好かない野郎に渡すわけにいくかよ」
「シャマン」
「キキキ」
ミナミは心の底から安堵した。
そして今の発言を心の底から喜んだ。
「強行突破、でいいのじゃな?」
「ああ。それとな」
「まだなにかあるのか?」
シャマンの目線が憲兵の後方に佇む老人に向く。
「あの爺さんを連れていきてえ。手っ取り早く姫神について知ることができるんじゃねえか」
シャマンにしては合理的な意見だなと、そのとき全員が思った。






