寝台の上でシオリはうなされていた。
とても過ごしやすい季節が近付いているというのに、全身に汗をかき、くるまったシーツがへばりつく。
体を左右に動かしながら、顔は苦悶の表情を浮かべている。
シオリは悪夢にうなされていた。
夢の中でどことも知れぬ場所に立っていた。
誰とも知れぬ者たちに囲まれていた。
見たこともない衣服に身を包んでいた。
初めて触る物体を持っていた。
見上げると空はどんよりと曇り、世界は灰色に染まっていた。
寒いと思った。
当然だ。
雨が降っている。
黒い、真っ黒い水の雨だった。
身にまとった白い衣装が黒くなる。
周りでバタバタと人が倒れていく。
みな苦しそうに、助けを求めるように、手を伸ばしながら倒れていく。
黒い雨。
災いを降らす原因は何なのか。
シオリにはわからなかったが、シオリの身体はわかっていた。
そこで気付いた。
ここにいるのはシオリではない。
これは誰かの記憶なのだ。
自分の身体だと思っていた肉体から切り離される。
精神だけとなったシオリは黒く染まった白い衣装の少女と対面する。
「あなたは誰?」
少女が語りかけてきた。
(私はシオリ)
声は届かなかった。
「私はヒカリ。白姫のヒカリ。どうか安心して。テオ族の巫女として、この国、ハイランドは私が救って見せます」
(白姫! それじゃあ、これは過去の?)
ヒカリと名乗った少女が手に持った箱を天に掲げる。
まばゆい光があふれ出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目覚めたとき、すでに朝を迎えていた。
シオリはあまりよく眠れなかったと思いつつ身を起こす。
なにか、夢を見ていた。
見知らぬ少女と黒い雨、そして箱からあふれ出す光。
「なんだったんだろう」
「おはよーシオリ! お薬の時間だよ」
そこへ毎朝の習慣と化したハクニーによるお薬の時間がやって来た。
「ハクニー。おはよう」
「およ、今日は早起きだね。ならとっととお薬注入して、兄さまたちをお見送りしよう」
「ベルジャンさん、どこか出かけるの?」
「兄さまだけじゃないよ。ウシツノとアカメ、それに昨日来た冒険者たちも一緒だよ」
「どこへ行くの?」
すっとハクニーが村の背後を指差す。
と言ってもここは天幕の中で窓すらもないのだが。
「ペニヴァシュ山」
「なにしに?」
「パンドゥラの箱の封印を解きにだよ」
ベルジャンは決断した。
一族が長年護ってきた遺物、パンドゥラの箱を今こそ持ち出し、この地に安寧を取り戻すのだと。
「え、じゃあ私も……」
「シオリは駄目。まだ体調が万全じゃないからね。ハクニーとお留守番だよ」
「そんなぁ」
「さ、とっととお薬、お薬。四つん這いになって」
「そんなぁ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ではタイランさん、留守の間、シオリ殿の事よろしくお願いします」
「ああ、ウシツノもアカメも気を付けてな」
ベルジャンと二人のケンタウロス族、シャマン一行、そしてウシツノとアカメ。
総勢九名で集落の裏にそびえるペニヴァシュ山へ向かうことになった。
目的は封印された〈パンドゥラの箱〉を持ち帰ることである。
「十日ほどで戻れる予定ですので」
「ああ」
そして九名が旅立っていくのをタイランは見送った。
同じように見送りに来ていたケンタウロス族たちもそれぞれの持ち場へと散開する。
その中には一族の長であるベルジャンの父親の姿もあった。
かなりの老齢で、すでに戦闘行動はとれない。
いまだ集落の決定権を有してはいるが、実質若きベルジャンの決断には逆らえない立場となっている。
決して不仲というわけではないが、今回の箱の件については族長として思うところもあるようだった。
そして遅れて集落の入り口にシオリとハクニーが姿を現した。
「遅かったなシオリ。ウシツノとアカメはもう行ってしまったぞ」
「そんなぁ」
朝から落胆しっぱなしである。
「急に出発するなんて聞いてなかったですよ」
「昨夜決まったのだ。我々からすれば急なことではあるが、ここの人たちからすればついに長き年月の果てがやって来た、という事だ」
一瞬シオリの脳裏に昨夜の夢が思い出される。
「私も行きたかったな」
「今は休養をとることに専念しておけ」
まだ朝は冷えると言われ、シオリは渋々天幕へと戻っていった。
その様子を遠い空の上から眺める物体があることに、さすがのタイランも気付けなかった。






