エスメラルダ古王国、南方よりハイランド領内に侵攻――。
その一報がもたらされたのは昨日未明。
南の砂漠地帯を治めるエスメラルダ古王国から、主戦力である翡翠の星騎士団が突如ハイランドに侵攻を開始した。
北に位置する草原の国ハイランドとエスメラルダの間にはバルカーンという獰猛な野獣が多く生息する蒼狼渓谷が広く横たわる。
いくら駆逐しようが決して絶滅へと追いやることのできないあの獣たちのせいで両国間の行き来は通常困難を極める。
いくつかの街道は通してあるが、大規模な隊商を組み、相応の護衛を雇い入れてようやく通行できるほどだ。
一見マイナスな地形と思われるだろうが、両国間の関係が冷え切っていたこの数十年は、かえって天然の要害ともなり一定の守備的役割を果たしてくれてもいた。
そこを突破して、エスメラルダ軍はやってきた。
ハイランド側の最南端、その蒼狼渓谷を望む地にアイブロックス砦があった。
その砦からの急報により今回の侵攻がブロッソ王にまで伝えられたのである。
早速関係者一同が王城へと参集し対応を話し合ったのだが、しかし軍議はなかなか前へと進まなかった。
ハイランド王国の重鎮たるお歴々が、雁首揃えて唸るばかりである。
十本の白い尖塔が天を衝く、王城ノーサンブリアにて、未明より始まった緊急の軍議は膠着状態に陥っていた。
国王ブロッソ・ウォーレンスは大きなテーブルの上座に着き、肘をついた両手を口元の前で組んだ姿勢のままもう何分も固まっている。
傍らに置かれたワイングラスには一度も手を付けていない。
目の前のテーブル上には広げられたハイランド周辺の地図と兵力を表す騎兵の駒、模擬戦闘のための六面体や多面体のダイスがいくつも散乱している。
部屋には宰相や文官、騎士や貴族が数多く密集していた。
騎士を主とした抗戦派と、貴族や文官など、まずは交渉による穏健派で意見が対立していた。
「そもそもだな、そもそも、だ。なにゆえ今この時にエスメラルダは国境侵犯などと愚行に走るのだ」
誰かが状況の整理をうながした。
「そうだな。奴らの目的は、侵攻の大義はなんだ?」
別の男が声を出すとそれに答える声が次々と上がる。
「え~、両国間においては友好的かつ恒久的な同盟が結ばれているものかと存じますが……」
「いつの話だ! 亜人戦争以来まともな外交などなかったではないか」
「はあ……なにぶん彼の国は法王の交代が頻繁でして」
「実権は大司教ライシカだろう。あの女の権力欲は凄まじいと聞くぞ。その手がとうとう我が国に」
「ではなにかね? あの国は恐れ多くも我らがハイランドを属国吸収しようとでもいうのかね」
「まさかそこまでは! せいぜい領有権を一部奪おうという程度かと」
「それで充分由々しき問題だ」
「文官! あの国の近年の状況は?」
「は、はい。エスメラルダ、以下エス国としますが、公式に発表されている国勢調査によりますれば、まず人口はこの十年で減少しております。ご存じの通りエス国は〈慈愛の女神サキュラ〉を国教とし、国民の大半が信奉していますが、サキュラ信徒は女性に多く、よって国民の九割が女性でして」
「ほとんどがニンゲンのな」
「そうです。残り一割は亜人でして、男性もおりますが種族、職業は様々です。まあほとんどが労働者階級ですが」
「いびつな国だ」
「さて人口減少の主な要因ですが、亜人戦争による周辺環境の悪化であると推察されます」
「というと」
「エス国の周囲は実に危険な地域に囲まれています。南はアーカム大魔境、南西に盗賊、もとい、自由都市マラガ。……書記官、今の言い間違いは記録から消しておくように」
「はい」
「そんなことはいいから続けたまえ」
「コホン。……そして東は五氏族連合フィフスという亜人種族の小国家群でありますが、近年特に問題視されていたのが西に広がるセンリブ森林のエルフたちによる誘拐多発事件です」
「ふむ。しかしその件は先般片付いたとの報告を受けているな」
「マルーフ砦に立てこもった大量のエルフをエスメラルダが捕獲したという奴だな」
「そのようです。ただし自由都市マラガ壊滅以降、エス国内に落ち延びた難民が大量に流入したようでして、今は新たにその対応に苦慮しているとか」
「犯罪も多く生まれてそうだな」
「治安の悪化から政情不安に陥ったか」
「実際はわかりかねます。が、この難民流入はいずれ我が国にも辿り着く案件やもしれません」
「蒼狼渓谷をそう簡単には超えられまい」
「それからですね、これは余談ですが、我が国との直接的な交流が民間レベルでも途絶えたことも、人口減少の一要因のようでして」
「人的交流が途絶えればそうもなろう。特に若い者たちにとってはな」
「そんなことまで我が国の関知することでもあるまい」
「仰るとおりで。まあ、原因はともかくとして、人口減少が何を招くかと言えば、まずは労働力の低下です。単純に国内の生産力が低下します」
「それとこれも余談となりますが、マラガ壊滅によりエス国出身の大富豪、宝石商のヒガ・エンジも行方不明とあります」
「ああ、加えますとマラガ壊滅により、世界経済は現状破綻を見据えた動きが加速しているようです」
「細かな報告となるが冒険者ギルドによると今現在の依頼比率は遺跡調査、物品配達などは低下傾向。逆に魔物退治、揉め事処理といったより野蛮かつ危急を要するモノに偏っているそうだ」
「世界規模の治安悪化も避けられそうにないな」
「それは我が国よりエスメラルダの方がより深刻でしょう」
「なるほど。治安、経済、そして未来に不安が付いて回るか」
「そうであるならば先の亜人戦争による爪痕はいまだ癒えずとなるが」
「いや、それならば直接の原因はマラガの壊滅であろう」
「しかし一夜にして滅ぶかねぇ? なんでも巨大な火竜とゾンビの集団に蹂躙されたとか」
「ハハ、尾ひれがつくにしてもこれは、妄想の域ですな」
「ハハハハ」
「それが姫神だ」
それまで黙って各人の発言に耳をそばだてていたブロッソ王が、ようやくボソリとつぶやいた。
そして文官に視線を持っていく。
「エスメラルダの騎士団を率いている者はなんといったか」
「はっ! 銀姫ナナと呼ばれる娘であります」
「その者の素性は?」
「はっ、それが、なんとも信じがたいのですが」
「かまわん。話せ」
「はっ。一年ほど前のようですが、突如異世界より現れたそうで」
「異世界?」
「なにをバカな」
ざわつく者たちを片手で制し、ブロッソは続きを促す。
「オールドベリル大神殿のハナイ司教に庇護され数ヶ月を過ごしたのち、翡翠の星騎士団長に任命されました」
「ではエス国の軍事一切はその小娘が仕切っているのだな」
「そうであります」
じっと考え込むブロッソ王に遠慮して誰もが口をつぐんだ。
「時期が来た、と考えたか。ライシカめ」
半年前までなら一笑に伏していた。
だが、盗賊都市と悪名高いマラガの壊滅。
そしてハイランドに現れた蠱惑の美女マユミ。
チェルシーの言っていた姫神戦争、それが始まるのか。
バンッ!
そのとき大きな音を立てて部屋のドアが開け放たれた。
「ローズマーキーが落ちた!」
壮年の騎士があわただしく入室しながら発した報告に一同が驚愕した。
「なんと!」
「ロ、ローズマーキー! あの街はこの聖都カレドニアよりすぐそばではないか」
報告に現れた壮年の騎士、この国の軍事を取り仕切る大将軍ジョン・タルボットは汗をかきつつ首肯する。
「アイブロックス砦はどうした?」
「壊滅しました、王よ。バルカーンの群れに襲われたようです」
報告によれば国境の砦アイブロックスは、かつてないほどの集団行動を繰り出した蒼狼バルカーンによって瞬く間に壊滅したらしい。
「敵軍はそれに乗じ、進行を止めずにローズマーキーまで一気に進軍、占領しました」
それは領内侵犯からたったの二十時間で達成された。
「開戦だな。反対する者は?」
国王の発言に異を唱えられる者はいなかった。
「すぐに各地に散らばった諸侯に通達。兵をかき集めて参上せよ。更に起動できるパペット兵を総動員させろ。ケイマンも呼び戻せ」






