【第56話】黒姫〈ディープ・リッチ〉

 黒い渦は少しずつ、小さく小さく収まっていった。
 少し距離を置いたモロク王とオーヤの目の前で、だんだんとそれは収まっていく。
 やがて渦が完全に収まった時、そこに変貌したレイが立っていた。
 天幕は吹き飛び、月夜の下にポツンとレイは立っていた。、
 闇よりも濃い黒のドレスを纏っていた。
 蝋の如く白い肌をしていた。
 髪は灰色で、頭部の頂には血のように真っ赤な色の茨の冠があった。
 身の回りに黒い霧のような、靄が漂い、立ち尽くすレイをまるで支えているように見えた。
 そして、手にはより禍々しい形に変化した黒の剣が握られていた。

「オーヤよ、あれが……」
「そう。姫神として覚醒した黒姫、〈深淵屍姫ディープ・リッチ〉よ」

 モロク王は戸惑った。
 自身の心内に、またあの我慢ならない感情が沸き上がり始めている。

 恐れだ――。
 あの黒い靄がなんとも嫌な気にさせてくれる。

 モロク王の内心を知ってか知らずか、オーヤが芝居がかって頭を垂れる。

「おめでとうございます、モロク王よ。これで覇王への確かな道がまた一歩、開かれました」

 どこか嘲る調子が含まれていることに、肝心のモロク王は気付けなかった。

「奴を利用し、世界を……」

 渦巻く恐怖を押し隠し、モロク王は変貌した黒姫を観察した。
 ゆっくりと、レイは首を巡らせている。
 正気を保っているのだろうか。
 視線は定まらず、動きも緩慢で、すべてがぎこちなく見える。

「さあ、モロク王。黒姫を手懐けてくださいませ」
「手懐けるだと?」

 ギクリとした。
 そんなことが可能なのか?
 心に疑念が生じる。

「そうです。大丈夫。紅姫のように暴走してるわけじゃない」

 モロク王を見据えるオーヤの目は試すような目であった。
 それは黒姫かモロク王か。

「見ておれ」

 それを不遜だと憤る気持ちが勝ち、モロク王はレイへと向かい歩き出した。
 一歩一歩、近付くたびに悪寒が強まる。
 レイは相変わらず動こうとしない。

 何を見ている?

 立ったまま脱力し、虚空を見つめる瞳からはまるで生気を感じられない。

 意識はあるのか?

 不気味な雰囲気に呑まれそうになりながら、モロク王はゆっくりとレイに近付く。
 何の反応も示さないレイに、手を伸ばせば届く距離にまで近寄った。
 寒い。
 周囲の気温が下がった気がする。
 ここだけが極寒の地、というよりまるで、冥界に堕ちた気がしてならない。

「聞け、黒姫よ」

 モロク王の呼びかけにレイの瞳がわずかに揺れた。

「我が覇道を成すがため、この亜人世界を掌握するために、我がもとで姫神の力を振るうのだ。オレに仕えよ」

 剣をレイに突きつけた。

「ひざまずくのだ」

 レイの視線がゆっくりとモロク王に向けられた。
 小刻みに震えながら、上半身を揺らし、きりきりきり、と音がする、まるでからくり人形のような動きで首を巡らせた。
 レイが小さく口を開いた気がした。

 刹那、モロク王の大剣が弾き飛ばされた!

 レイが黒の剣を片手で振るったのだ。
 驚くモロク王の眼前で、レイの背後の空間から、無数の青白く発光する「腕」が現れる。
 その無数の腕に一斉に殴打され、たまらずモロク王は数メートルも吹き飛ばされた。
 オーヤはその光景をニヤニヤしながら眺めている。
 拷問を担当していたトカゲ族の部下がモロク王の元へと駆け寄った。
 レイは構わず地面に黒の剣を突き立てる。
 口中で何かつぶやいた。
 すると地面が盛り上がり、大きな土の塊となってレイの目の前に浮かび上がる。
 直径百センチのその土塊からは腐臭が漂い靄が溢れ出ている。
 それが射出された。
 モロク王に向け勢いよく飛んでいく。
 起き上がれずにいたモロク王を咄嗟にかばったのは拷問吏のトカゲだった。
 土塊は拷問吏に激突するとバラバラに砕け散り、拷問吏は全身にその土を浴びた。
 案外脆いもので痛みはさほどなかった。

「かわいそうに」

 オーヤがつぶやくと拷問吏に異変が生じた。
 苦しみ悶えだすとその拷問吏は生きたまま体中が腐り始めたのだ。
 肉がこそげ落ち骨が露出する。

「うわあああ! モ、モロク王さまぁ、たすけ……」

 腐りゆく体を維持できず、モロク王をかばった拷問吏はそのまま崩れて土へと還った。

「今のはなんだッ」
「黒姫の使える姫神魔法のひとつ、溶解団子アシッドボールよ。腐った土で犠牲者を腐敗させるの」

 部下の死体はすでに腐った土と同化して見分けがつかなかった。
 豪胆なモロク王も背筋が凍る気持ちがした。

「モロク王さまァッ」

 そこへゲイリートが部下を引き連れ王のもとへと馳せ参じた。
 後ろからはウシツノとアカメも走り寄ってくる。

「あら、あなたたちも来ていたわけ? でも一足遅かったわね」

 二匹のカエル族の登場にいささか虚を突かれたオーヤだったが、すぐに愉快な気持ちになって状況を楽しみだした。
 二匹が黒姫の覚醒を見て驚いてくれるに違いない。
 その反応がとても新鮮で期待通りだったのでうれしくなったのだ。

「あ、あれは、レイ殿なのかッ」
「おそらく、黒姫という姫神なのでしょうね。しかしなんとも……」

 アカメは口をつぐんだ。
 出かかったセリフはウシツノを激怒させるに違いないからだ。
 ちらりと魔女を盗み見ると、彼女は察したようで嫌な笑みをたたえている。

「王よ、ご無事ですか?」

 ゲイリートが部下と共に駆け寄るがモロク王は答えない。

「あれが姫神ですか。あれをどうやって利用なさるのです?」

 とても不気味であるがとても繊細で、話に聞く一騎当千の兵とは到底見えなかった。
 そも、ゲイリートにはあれが自分たちの手駒として素直に働くなどとも思えなかった。

「言って聞かぬようなのでな。力づくしかなかろう」

 モロク王は立ち上がると自らの大剣を握りしめた。

「王!」
「覇王となるのはオレだ! そこで見ておれ。手を出すなッ」

 英傑と謳われしモロク王がレイに向かって突進する。
 裂帛れっぱくの気合いを乗せた最高の一撃をレイに対して浴びせかけた。

「貴様のそっ首、防げねばそれまでのことッ」

 レイはうるさそうに黒の剣を跳ね上げると、モロク王の必殺の斬撃はいとも簡単に打ち払われた。
 何とも無造作で、何とも無関心な様子で弾かれてしまった。

「なっ……」

 誰もが呆気にとられた。
 状況を理解するのに数秒を要したが、その一瞬でレイはモロク王のがら空きの胸に手を当てた。

 静かにほほ笑んだ顔をモロク王は最期に見た気がした。
 そしてモロク王の巨体は音もなくその場に倒れ伏した。

「お、王ッ」

 ゲイリートが駆け寄りモロク王を揺り動かすが反応はない。

「そんな、バカなッ」

 表立った外傷はひとつもなかった。
 だが確かに言えることは、トカゲ族の王、炎天将軍モロクはすでに、絶命していた。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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