傷ひとつないモロク王の亡骸を前に、ウシツノは混乱していた。
姫神として覚醒したレイに、あの苛烈なモロク王が何もできずに殺されてしまった。
あっさりと、胸に手を添えられただけで……。
ウシツノの理解が追い付かなかった。
父親の、そしてこの村のカエル族たちの仇であった憎きモロク王が、すでにこの世にいない。
頭の中は真っ白になっていた。
「キ、キサマぁ」
「王の仇ッ」
最初に動いたのはゲイリートと共にこの場に来ていたトカゲ族の兵たちであった。
数は五匹。
その五匹が一斉にレイに襲い掛かった。
「ま、待て! お前たちッ」
制止するゲイリートの声も届かず、斬りかかった兵たちは、レイが無造作に振るった黒の斬撃に一蹴されてしまった。
それぞれが胸や腹を切裂かれ出血している。
だが一撃で倒れるほどの深手ではないようだった。
「ガッ」
しかし五匹のトカゲ兵は突然震えだすと、目や口、鼻、耳といった穴から黒い煙を噴き出し倒れた。
ゲイリートが確認するも脈はなく、全員こと切れていた。
吹き出した煙はレイの黒の剣に吸い寄せられ、獲物を屠る獣のように吸収してしまった。
「な、なんだ、今のは」
狼狽するゲイリートはこの場で唯一解答を持っているであろう魔女に伺いを立てた。
「あの剣の名は〈死をもたらすもの〉。斬られた者の生命力を吸い取る魔剣よ」
「なんと……」
いま一度見るにつけ、名に負けぬ禍々しきオーラが漂う拵えであり、まさしく魔剣と呼ぶにふさわしい代物である。
その恐ろしさに戦慄を覚え、迂闊に近寄ることもできず、ゲイリートはただモロク王の亡骸のそばで膝を着くだけであった。
「お、王ッ」
「む、ボイドモリ……」
傷ついた体を引きずりながら駆け寄るボイドモリだったが、王の亡骸を前に当惑を隠しきれずにいた。
「なんという事だ! 誰がこのような」
ボイドモリの問う目を導くように、ゲイリートは静かにレイに顔を向けた。
そこで初めてボイドモリは変貌したレイの姿を認識した。
「や、奴は……あのニンゲンか?」
「我らが求めていた姫神だそうだ」
「あんな小娘に……モロク王が…………」
とても信じられぬと言ったボイドモリの声は半分嗚咽交じりであった。
口元を強く噛んで血が滲み、握った拳は爪が手のひらに食い込むほどである。
その怒りの矛先が魔女へと向いた。
「貴様だッ! 貴様がッッッ」
ボイドモリは魔女へとにじり寄ろうとするが、魔女は表情を変えずに佇むばかり。
その顔からはあざけりも、あわれみも、一切の感情は読み取れなかった。
「貴様が王をたぶらかしたからッ! 姫神などという化物を吹聴しなければッ」
「よせ、ボイドモリ。詮無きことを」
「ウオァーーーーッ」
ボイドモリは号泣した。
幹部たちの中で、モロク王にもっとも心酔していたのはこのボイドモリであることをゲイリートは知っていた。
月に向かって叫び声をあげる戦友に掛ける言葉も見つからなかった。
しかしてその号泣に反応した者がいる。
「あ、あ、わた、し……」
レイだ。
それまで虚空を見つめて茫然自失としていた彼女だが、ボイドモリの号泣に感化されたのだろうか。
足ががくがくと震えだし、両手で顔を覆うと突然悲鳴を上げた。
「あああぁぁぁあああぁぁぁああああッッッッッッ」
闇につんざく悲鳴は再び黒い渦を呼び起こし、レイの姿を覆い隠す。
しばらくして風が止むと、そこには黒い不気味なドレスではなく、泥にまみれたスーツを着た、元の姿のレイが立っていた。
「わ、わたし……」
真っ白な顔色をしたレイが、真っ黒な魔剣を見つめている。
恐ろしさと不安、そして少しの高揚感に負けて地面に膝を着いた。