空中に舞い上がったオーヤが身をひるがえした。
「ま、待ってください! まだ聞きたいことはたくさん……」
「基礎知識は教えてあげたわ、カエルの賢者さん。黒姫はいただいたし、もう行くわ」
「待て! 逃がすと思うかッ」
ウシツノが刀を持って跳び上がるが、その刃は魔女の金色の髪によって防がれた。
「白姫は預けておくわ。けど覚えておくことね。姫神を知る者は必ず、我が物にしようと暗躍する」
ウシツノが地に降りると同時にオーヤは飛び立った。
「せいぜい、利用されないように気を付ける事ね」
そう言い残して去っていく。
「ま、待て! くそっ、タイランさん」
「無駄だ。魔女はゲートを開く術を心得ている。追った所で振り切られるだけだ」
剣を仕舞いタイランは唸る。
「なんにしろ魔女の行き先はカザロだ。そこへ行って黒姫を救出するしかあるまい。ただ……」
「なんですか?」
「……うむ。魔女はいつでも黒姫の元へゲートを開くことができるらしい」
「え? それってどういう」
「レイさんを助けても、すぐに魔女が取り戻しに来るって事ですか」
戸惑うウシツノに代わって、シオリが問題点を指摘するとタイランは神妙に頷いた。
「そんなぁ……それじゃあレイさんはいつまでたっても落ち着けないじゃないですか」
「魔女はどうしても倒さねばならないってことだな」
ウシツノはそう言い、刀を強く握りしめた。
「で、でも……」
ただシオリはそう簡単に割り切れない思いを抱いていた。
それはあの魔女が告白したことによる。
「あの魔女も姫神だったんですよね? 私や、レイさんのように」
「あ」
それでウシツノもシオリの逡巡を理解した。
「だが今は違うと言っていたぞ」
「そうかもしれない。でもそれならあの人もこの世界の人間ではないってことですよね? 私やレイさんと同じ、日本から来たのかもしれない」
「全部ウソかもしれない」
とは言うものの、ウシツノも魔女の言葉をまるっきり嘘だとは思わなかった。
ただ今のウシツノには憎むべき相手、仇となる相手が必要だったのだ。
シオリやレイの境遇には同情もするが、自分やアカメも故郷を失った。
今は悲嘆にくれる場合じゃないと思えばこそ、果たすべき使命、立ち向かうべき敵がいてくれることが救いにもなっていた。
だから、シオリの言いたいことは理解できるが、今は魔女に憎まれ役を演じてもらわないといけない。
でないとどうしたらいいか何もわからなくなってしまう。
「結局奴の正体は聞きそびれてしまったな」
ウシツノは何とか軌道修正を試みようと話を元に戻した。
「あの魔女がかつての姫神だとしても、それがどれぐらい昔の話なのだろうか。十年や二十年どころではあるまい」
「私の聴いた話によれば、姫神が現れるのは数百年に一度らしい」
タイランが割って入った。
「そうか。ならオレが知らなくても無理ないな」
「数百年ですか? じゃああの人、一体何歳なんだろう? 江戸時代の人なのかな」
「エドジダイとはなんだ?」
ウシツノが不思議そうな顔で尋ねたが、シオリは曖昧に笑ってごまかした。
説明しても伝わらないと思ったからだ。
「まあ、次に会ったときはその辺も聞き出さないとな。すべてウソな気もしてきたが」
ウシツノはふと、ここまで珍しく黙り込んでいるアカメのことが気になった。
見るとアカメはひとり、ぶつぶつと何事かをつぶやきながら、物思いに耽っているようだ。
「姫神……七人……なんのため……超常の力……されど弱きもの……終焉と幕開け……東……今も書き綴られている……」
「おい、アカメ」
「……ブツブツ……」
「アカメッ」
「はっ、はい」
ウシツノの応答にようやくアカメが応えた。
思考の世界に入り込むと周囲がわからなくなるのはアカメの悪い癖だった。
「いろいろ考えてるみたいだが、何かわかったのか」
「いいえ。まだ何もわからないと同じですよ」
「そうか。だが今は時間がない。レイ殿を助けに行かなくては」
「ええ、そうしましょう」
ウシツノの提案にアカメも今度は異存がないようだった。
「私も行きます」
白い剣を握りしめながらシオリが言った。
「レイさんを助けたいです」
「危険ですけども、シオリさん。私たちにはそれしか選択肢がありませんからね」
シオリひとりをここに置いていくことはできない。
ウシツノもシオリも強い覚悟を胸の内に決めていた。
それを感じ取りタイランも前へと進み出た。
「では行こう。カザロまでは丸一日かかる。向こうへ着いてからも状況を見定めての行動となるだろう。失敗は許されない。焦る気持ちを抑えねばならんぞ」
「タイランさん、ありがとうございます」
「なにがだ」
「いや、オレたちにそこまで手を貸していただけるなんて、ありがたいです」
「婦女子のために戦うのは騎士の務めだからな」
それに、戦友の頼みでもある。
声には出さないが、タイランもまた決意を胸に秘めていた。
歩き出した一行の中でただひとり、アカメだけはみなとは違う覚悟を決めていた。
カザロ村での対決、その後のことを考えていた。
姫神について知るために、東の大陸へ渡らなければならない。
東の大陸とこの西の大陸とは三十年前に大きな戦があった。
亜人戦争。
そう呼ばれた大戦が終結してより東と西、表向きの交流はだいぶ減ってしまっていた。
西の大陸では各種族による自治が進み一定の平穏が訪れてはいるが、東では多くの大国や魔境に巣食うバケモノどもが暴れていると聞く。
そんな地にも姫神が降臨しているとしたら。
「いや、まだそこまで考える必要はありませんね」
アカメは思考を打ち切った。
考えるには材料がなさすぎるのだ。
今はレイの救出に全力を傾けるべきだ。
それを成し遂げなくてはその後などないのだから。
みんなから遅れてしまったアカメは仲間との距離を詰めるため、急いで駆け出した。