身を潜めながら、アマンは歯噛みしていた。
上手いこと村へと忍び込び、中央広場を望める茂みの中にいた。
暗闇に包まれた村内を明るく照らそうと、多くのかがり火が焚かれていたが、小柄ですばしっこいアマンに気付く者は誰もなかった。
侵入者を発見する役目が果たせずにいるかがり火だが、その代わり、カザロ村のその酷い有様を煌々と照らすことで、アマンに衝撃と動揺を与えてくれていた。
「くそぅ」
今朝までそこにあったはずの平和な日常はもう跡形もなくなっていた。
家や畑は荒らし尽くされ、破壊され、燃やし尽くされていた。
美しい景観を誇った木々や花壇は蹂躙され、甘い香りに満ちていた野の花はおびただしい量の鮮血を浴びて固まっていた。
しかしそこには目は向かない。
その先にもっと凄惨な光景があったからだ。
正視に堪えないとはこのことであろうか。
それはおびただしいほどの数で積まれた死体の山だった。
カザロ村の住人たちだ。
平和に暮らしていたカエル族である。
それが文字通り、山のようにうず高く積まれているのだ。
二百人ほどの村人の、ほぼ全てがそこに打ち捨てられているのだ。
「こいつはちょっと……ウシツノの旦那には見せられないな」
必死に声を押し殺す。
怒りと恐怖がない交ぜになって、冷静を装ったセリフでも吐かないといられなかったのだ。
覚悟をもって村へと戻ってきたつもりであったが、この現実を目の当たりにして動揺を隠せずにいた。
そのために内心で自分を誤魔化そうと必死だったのだ。
しかし状況もある程度わかってきたとアマンは考えた。
「村の大半の連中は殺されたみたいだ。けど脱出した奴もいるはず」
村の外で見つけたクナイを思い起こす。
「それにトカゲどももせいぜい百匹てところか」
軍勢が駐留しているようには見えなかった。
そうでなければさすがにここまで侵入することも叶わなかっただろう。
そうしてあれこれと考えを巡らせていると、アマンの隠れる茂みの前を通り過ぎるトカゲたちの声が聞こえた。
「急げ! 招集がかかったぞ」
「黒姫の行方がつかめたらしいな。どこなんだ」
「山中の洞窟だそうだ。これから山狩りだな」
どうやらトカゲどもは村の入り口に集まりだしていた。
そのせいでアマンのいる広場が手薄になっていた。
警戒はしつつも茂みから這い出ると、トカゲどもの去った方角と、続けて背後にそびえる巨大な山の影を見る。
「黒姫ってなんだ? 山中の洞窟って、まさかアメの洞窟のことじゃ……なんで奴らがそれを知って」
一抹の不安を感じはしたが、今は出来ることをする以外ない。
アマンは広場の隅に積まれた死体の山へ、瓦礫と化した建物の物陰を伝いながら慎重に移動した。
そばへ来ると怒りと無念が増幅する。
「…………」
無造作に積まれた彼らを見ながら、アマンはそっと、両手を合わせた。
全員見知った顔だった。
仲の良かった奴も、悪かった奴もいた。
優しかった奴も、せこかった奴もいた。
腕っぷしの強かった奴も、弱かった奴も、明るい奴も、暗い奴も。
誰それの区別なく、みなそこに積まれていた。
いや、ひとつだけ、少し離れたところに放置された者がいた。
そこはまさしく広場の中央。
アマンはそこに信じられない、信じたくないモノを見た。
「長老……あんた……」
ひときわ大きなカエル族がそこに横たわっていた。
頭部は斬られ、潰されてはいたが、一目でわかった。
カエル族の長老、かつての大戦の英雄、水虎将軍クラン・ウェルがそこで朽ち果てていた。
「長老、あんたがいなくなっちまったらオレたち……どうすればいいってんだよ」
常にポジティブ思考が身上のアマンでも、この現実に眩暈と吐き気を催した。
少しふらつき、目線が横へと、地面へと逸れる。
そこで目に留まったのは一振りの刀であった。
「これ……」
その刀は刃が通常より三倍はブ厚い。
すぐにわかった。
「長老の愛刀、自来也だ」
アマンには少々重たくはあったが、鞘に納め、刀を背負う。
コイツの次なる持ち主へ渡してやる必要を感じた。
「さて、敵の規模と黒姫とかいう目的があるのはわかった。奴等より先にアメの洞窟に行って、あいつらに知らせてやらねえとな」
アマンはこの危険な場所からとっとと退散することにした。
「うわああっ。やめてくれ」
「助けてくれッ」
その時、悲鳴や命乞いの叫びが聞こえた。
アマンは見過ごすことが出来ず、声のした方へと向かった。
崩れた家屋の壁際から顔だけを出して伺う。
瓦礫の散乱する裏庭のような場所に、まだ生きているカエル族が二人、すでに動かなくなったカエル族がひとり倒れていた。
そしてその周りには武装したトカゲ族が十匹近くもいる。
なかでも他のトカゲより体格のいい、威張った奴が二匹いた。
指揮官クラスであるようだ。
そのひとりが非情な宣告を告げる。
「もうキサマ等に用はない。処刑命令も出たのでな。おとなしく死ぬがいい」
「ボイドモリ。出発の招集がかかっているんだ。早く済ませろ」
「わかっておるわゲイリート。すぐに終わる」
全身が緑の鱗、頭頂部から背中にかけて無数のトゲが生えるボイドモリと呼ばれたトカゲが大きな斧を振るう。
「助けっ……」
命乞いをするカエル族のひとりに無情なる処刑を執行した。
それを見て、黄色い鱗に大きな頭が特徴的な、ゲイリートと呼ばれたトカゲが周囲の部下たちに出発を急かす指示を出し始める。
「お前で最後だ」
「ひ、ひぃ」
ボイドモリは楽しそうに、再び斧を振り上げ最後の一匹に取り掛かる。
ガスッ!
そのボイドモリの後頭部に投げられた石つぶてが直撃した。
驚く一同の見ている前で、石は静かに地面へと落ちた。
当てられた当のボイドモリ本人は、ゆっくりと振り返り投擲者を睨みつける。
これと言って痛みは感じていないようだが、明らかに怒りの感情は見てとれた。
「なんだァ? まァだ生き残りがいたのかよ、クソガエル」
隠そうともしない怒気をはらんだ声でボイドモリが凄む。
「アマン!」
生き残りの最後のカエル族が投擲者の名を呼んだ。
(やっちまった……ッ)
アマンはトカゲどもの目につく場所に姿を現していた。
仲間が殺されそうな場面を目の当たりにして、たまらず石を投げてしまったのだ。
武装したトカゲ十匹を相手に、しかも敵地で、アマンにこの窮地を切り抜ける策などなかった。
「キサマ、覚悟はできてるんだろうな」
「馬鹿な奴だ。出てこなければよかったものを」
ボイドモリだけでなくゲイリートも片手に鎚矛を持ち、アマンに近づいてくる。
アマンは腰から抜いただんびらを構えた。
(すまねえ旦那、アカメ。お前らに危険を伝えることすらできそうにねえ)
巨大な斧と重そうな鎚矛が、同時にアマンに向かい振り下ろされた。