泥のようにウシツノが眠り込んでいた頃、アマンはひとり、カザロの村に近付いていた。
今朝、村を出るまでは安寧の場所であった。
今は最早、敵陣である。
注意深く近寄ってみた。
そこで遠目からでも村中のかがり火が、普段より多く燃え盛っているのがわかる。
「トカゲどもは警戒も万全か」
正面から村へ行くのは危険と判断し、村の外を流れるアマスト川の河原へと移動した。
川から村内の池へと水中を伝って侵入する腹積もりだった。
川を流れる水の音だけが、夜の闇に静かに聴こえてくる。
「あっ」
思わず声を出してしまった。
慌てて口許を手で押さえ、腰をかがめて周囲を伺う。
誰も反応する者がいないことを確認してから慎重にそれらへと近寄った。
それは河原に転がる五つの死骸であった。
すべてトカゲ族の戦士である。
「ここで戦闘があったという事は、村を脱出した奴がいるのか」
それはわずかな希望であるが、同時にアマンにとっては心配事でもあった。
「川から村への水中ルートはもうバレてたりして」
死骸の検分を進めてみる。
まず二つは喉元を掻っ切られていた。
残り三つはそれぞれ斬られ方が違う。
心臓を一突き。
喉を一突き。
最後は頭蓋をかち割られている。
おそらく一瞬で仕留められたのだろう。
三つの死骸の周囲はそれほど足場が荒れていない。
何合も打ち合った形跡が見られないのだ。
「おっ」
死骸のうちのひとつ、背中に見覚えのあるクナイが刺さったままなのを発見した。
「これってヌマーカのジイさんのじゃねえかな」
クナイを引っこ抜きしげしげと眺める。
黒鉄の刃に赤い布が持ち手にきつく撒かれていた。
「なら戦ったのはジイさんだな。でも」
アマンはまだわからないことがあった。
おそらく喉を裂かれたトカゲはヌマーカによるものだと思う。
では残り三つは?
心臓と喉を一突きしている得物はクナイではない。
もっと長い刃物だ。
そしてトカゲの頭をかち割る戦法をヌマーカがとるとは思えない。
「けどまあ、いつかわかるだろ」
考えてもわからないことはあとにする。
確かなのはヌマーカがここを通り村を脱出したのだろうという事。
そしてこのルートはまだバレていない。
何故なら死骸が放置されたままだからだ。
気持ちを切り替え、アマンは川に入ると、静かに村へと泳ぎだした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
破壊され尽くした村の中にはいくつかの天幕が張られていた。
それらの前にはトカゲの兵がそれぞれ見張りに立っている。
しかし少し離れた位置に張られている天幕にだけは見張りがいない。
それどころかトカゲどもは距離を置こうとでもいうのか、周囲に誰の姿も見当たらなかった。
その天幕にモロク王がやって来た。
引き連れた部下には外で待機するように命じ、自分だけが中へ入るとすぐに顔をしかめて見せた。。
「無様にやられたようだな、オーヤよ」
「ゼェ、ゼェ。どの口が言うんだい……」
中にはボロボロに破れた黒いマントと、黒革のピッタリとしたコスチュームを窮屈そうに纏う、年老いて太った醜いニンゲンが苦しみあえいでいた。
それはまさしく大きく姿を変貌させていた黒革の魔女、オーヤであった。
光が流れるようだった金髪はボサボサでまとまりがなく、美しかった白い肌はいたるところにシミが広がり、体形も豚のように肥えていた。
年齢はゆうに老婆と言われる域に達している。
だが妖しく光る金の双眸だけはそのまま変わらなかった。
「それが本来のキサマの姿か? いったい歳はいくつなのだ」
「うるさいわ。すぐにまた、美しい姿に戻れる」
モロク王に魔道の知識はないが、確かにこの魔女ならすぐに力を取り戻すのだろうと思えた。
「白姫をふん縛る縄だけあれば十分だとほざいていた割には、無様だと言ったんだ」
「最期までクラン将軍に出し抜かれた分際でよく言うわね」
「フンッ」
少し煽るつもりであったが、罵り合いは五分。
モロク王は魔女を口撃することを止めた。
「モロク王。お前さんも私の力で全盛期を取り戻しているんだ。それを忘れるんじゃないよ」
「わかっておるわ」
「それで? 黒姫は見つかったの?」
「まだだ。周辺を捜させていはいるが土地勘がないのでな。残っている捕虜を痛めつけて心当たりを聞き出しているところだ」
「黒い剣まで持っていかれなくて幸いだったね」
魔女もすでに黒姫を連れ去られたことを知っていた。
「あの剣はなんなのだ? それほどのモノなのか?」
「あれは神器。姫神の力を発動するための触媒さ」
「チカラとは?」
「もちろん戦闘力よ。とてつもないね。覚醒した姫神はひとりで一軍に匹敵する」
「大きく出たものだな。だが所詮は伝説。過去の水準で計った程度のモノであろう」
オーヤはそれには答えず、隅に散乱している薬品やら小動物の死骸やら、おそらく魔導に必要な物をゴソゴソと漁り始めた。
気味の悪い儀式など見届けようとは思わず、モロク王が天幕を出ると、ひとりの部下が走り寄って報告をした。
「モロク王。ようやくカエルめが有益な情報を吐きました。山中に避難場所としている洞窟があるそうです。おそらく黒姫もそこに」
「よし。ではすぐに討伐隊を編成しろ」
「はっ」
報告に来た部下がすぐさま走り去る。
それから一拍おいて、待機していた部下に別の指示を出す。
「要は済んだ。生き残っている捕虜は全員殺しておけ。生かしておいても無駄だからな」
「は」
「シャシャシャッ」
高笑いをしながらモロク王は悠然と自分の天幕へと戻っていった。