シオリとレイだけを残し、皆この部屋を出ていく。
最後にアカメが振り向く。
「シオリさん、水と手ぬぐいはここです。それと、食事は大丈夫ですか? あなたも疲れているでしょう」
「平気です」
申し出はありがたかったが、今はすぐにも看病に取り掛かりたい。
「では私どもは手前の部屋にいますので。何かありましたら……」
「はい、わかりました」
シオリは会話をさえぎるように答える。
アカメもそれ以上は何も言わず、静かに扉を閉めて行った。
「……よし」
ひとつ、深めに呼吸をしてから、シオリは水に浸した手ぬぐいを軽く絞り、眠っている女の額に乗せた。
それからしばらく考えた末、着ていた制服を自ら脱ぎだす。
下着姿になると、熱でうなされ震える女を温めようと、そっと横に添い寝した。
改めて間近で顔を見る。
細く黒い髪は綺麗で長く、微かに揺れる睫毛も長い。
肌は白く、頬から首筋に至るまで、月の光が流れるよう。
元気で朗らかな、というよりも、窓辺で物憂げに本を開いているのが似つかわしい。
そんなタイプをイメージさせる繊細さが際立っていた。
「きれいな人…………いや、いやいやいや」
そんなつもりはなくとも少しドキドキした。
横向きになり、遠慮がちに右手で相手の肌、肩に触れてみる。
思ったよりも熱い。
「熱があるんだ……それになんだかうなされてる」
シオリは女の頭を、母親が子供を抱くように、そっと両腕で包み込んだ。
自身の冷えた身体も火照りだすのを意識した。
「お願いだから、私をひとりにしないでね」
「んん……」
小さく反応があった。
寝息も心なしか落ち着いた気がする。
その様子に安堵した途端、シオリも疲労を思い出し、次第に闇の中へと意識が沈み込んでいった。
ややあって、誰も見ていないその部屋で、シオリの体がほのかに光瞬いた。
それほど長い間ではない。
もしくはそれは一瞬であったかもしれない。
それは重要ではない。
観測者のいない場で、光の瞬いた時の長さを確認する事にどれほどの意味があろうか。
なにより当の本人ですら、その事象に全く気付いてはいなかったのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
外に出たウシツノたちは、交代で寝ずの番を張ることにした。
深山の奥深く、秘密にこさえられた場所とはいえ、用心は怠れない。
二交代制で、まずはウシツノとアカメの二人が洞窟の入り口で見張りに立つことになった。
昨日まで蒸し暑い夜が続いていたが、今夜は少し冷えるようだ。
風が万年雪を冠した峰々から吹き下ろす北風に変わっていたためだろう。
平和な日常の中であれば、今夜の風はありがたくも感じたはず。
ただ今日ばかりは得体の知れない不安を増長する厄介者のように思えてならなかった。
さりとてセミの声は相変わらず。
気持ちが落ち着きようもなく、それを愚痴ろうかとアカメに目を向けるも、話し相手とするにはすでに意識は夢の中へと入り込んでいるようだった。
「無理もないか」
それを咎めるようなこともせず、ウシツノは目線を再び外へと向けた。
暗闇に梢を鳴らす薄気味悪い森を見ながら、そっと自分の右肩を抑える。
痛めた右肩は煎じてもらった塗り薬と包帯で治療済みだった。
ヌマーカからはしばらく大きな動きを控えるように言われた。
「無理を言う」
こんな事態になってしまい、安静になどしていられようか。
「せめて今夜は、何もなければいいがな」
そう願わずにはいられない。
「ふっ」
つぶやいてから可笑しくなった。
「なにが何もなければだ。まったく、これ以上何があるという」
ヌマーカから聞かされたトカゲ族の襲撃と、父親であり、村の長老でもある大クラン・ウェルの最期。
焼き払われ、蹂躙された平和な村とその村人たち。
たった一日、今日ですべてが遠い過去のものとなった。
「これ以上、失うものなどあるものか」
自然、捧げ持っただんびらの柄を強く握りしめていた。
「そうだ」
「ッ」
背後から不意に声を掛けられ慌てて振り向く。
そこに赤い騎士タイランが立っていた。
気を抜いてなどいなかった。
だが全く気配に気づけなかった。
一筋の汗が背中を伝う。
相手によってはこの瞬間、人生の幕が閉じていたかもしれないのだ。
「フッ」
ウシツノのそんな狼狽を知ってか知らずか、タイランは洞窟の石壁に背を預け、諭すように話しかける。
「お前はまだ若いんだ。失ったものより、これから得るものについて考えればよい」
「……」
「と、余計なお世話だったかな」
目を伏せつつ、片手を軽く上げて申し訳なさそうにする。
「いえ、ありがとうございます」
「交代の時間だ。ここはオレとヌマーカ殿に任せ、お前らも中で休むがよい」
ウシツノは一礼し、アカメを起こすと洞窟の部屋へと戻った。
途中ヌマーカとすれ違う。
すれ違いざま小さな声が耳に届く。
「あの騎士、油断めされるな」
「ああ」
とはいえさすがに今日は疲れた。
せめて朝までは何もないことを願おう。
部屋についた途端、ウシツノは泥のように眠り込んでしまった。