【第15話】くちうつし

 洞窟の中は涼しかった。
 それまで感じた初夏の熱気が嘘のように、汗が一気に冷えていくのが感じられた。

 ここまでシオリは自分の置かれた状況が全く飲み込めていなかった。
 半ば無心で流されるままにここにいた。
 今日身に起きた事を少し振り返ってみる。

 ――気が付いたら山の岩場で眠りこけていたのだ。
 目覚めると三匹のカエル人間がそこにいて、さらに自分以外満足に持つ事も出来ない白い剣がそばにあった。
 剣もカエル人間も初めて見るものだった。
 そもそもどうやってここへ迷い込んだのかがわからない。
 学校の帰り道だったと思う。
 いつも通りひとりでテクテク歩いていた。

 ひとり?
 どうしてひとりだったんだろう。
 誰かそばにいたような気もする。
 誰かを見守っていたような気もする。

 ……あれ?
 なんで覚えてないんだろう。
 おかしい…………。
 私の名はシオリ。
 高校生で。
 日本人で。

 あれ?
 あれあれ?

 シオリ、名前。
 シオリ……苗字は?
 高校生。
 日本人……住所は、どこだったっけ。

「…………オリさん。……シオリさん」
「はっ」

 シオリは自分の名を呼ぶアカメの声で我に返った。

「どうしました? ずいぶん顔色が悪いようですが」

 カエル人間にも顔色がわかるぐらいにハッキリ悪かったなんて。

「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ありがとう」

 最初は少し気味が悪かった。
 けれど今はそうでもない。
 このカエルさんたちは自分を気遣ってくれている。
 それがちゃんとわかるのだ。
 だから少し安堵する。

 洞窟内は道幅も広く高さも十分で、三人横並びになってもなお余裕で歩けるほどだった。
 アカメ曰く、通路はいたるところで分岐しているらしく、闇雲に歩き回ってはすぐさま迷子になるらしい。
 だが目的地は案外近かった。
 入り口から入って早速二つ目の分岐を右に行ったすぐ脇の壁。
 そこに大きめの岩に隠れるようにして木製の扉が石の壁に嵌め込まれていた。

「ここです」

 ヌマーカが扉を押し開く。
 建付けはしっかりしているらしく、音もたてずに視界が開ける。
 そこは緊急時のためにカエル族が備蓄庫として使用していた部屋だった。
 中はかなり広く、天井に吊るされたいくつものランタンに明かりが灯されていた。
 食料や衣類の入った木箱、並べられた武具の類を優しく照らしていた。

「あちらですじゃ」

 ヌマーカがさらに奥の壁にあった扉を開ける。
 その先の部屋には簡易的な寝台が用意されていた。
 いくつかの木箱を並べ、その上に敷布を敷いた程度のもので、高さは揃えられていたが横幅はとってもいびつだった。
 ウシツノはそこにひとりの人間が寝ているのに気が付いた。

「こいつがもうひとりのニンゲン、の女か?」
「素性はわかっているのですか?」

 アカメの質問にヌマーカは首を横に振る。
 モロク王は黒姫と呼んでいた、とだけ告げた。

「黒姫?」

 アカメの脳裏に魔女の言葉が思い出された。
 確か、シオリの事を白姫と呼んでいた。

 女は衣服の類をまとっておらず、シーツ一枚掛けられているだけだった。
 着ていた衣服はずぶ濡れで、下着まで含め、すべて脱がされ天井近くに張られたヒモに吊るされていた。
 シオリも彼女の衣服に目を移す。

(スーツ……リクルートスーツかな? この人も私と同じ、この世界に迷い込んだ……)

 眠っているはずの女は時折苦しそうに喘いだり、咳き込んだりしている。
 アカメも女を観察してみる。

「具合が悪いようですが」
「うむ。最初からかなり衰弱しておったがな。ワシが連れだす際、村からアマスト川まで水中を逃げたんじゃ。それもあってかなりの高熱を発しておる」

 そう言いながらヌマーカは、床に並べられた薬草の類を石の薬研やげんで粉状に挽いていた。
 それをぬるま湯に溶かし飲ませようとする。

「さて。熱さましなんじゃが、どうにか飲ませてやらんとのう」

 言いつつも、眠る相手にどうしたものかとまごついてしまう。
 その時シオリは自然に体が動いていた。
 ヌマーカの手から薬湯の入った器を取り、それを一口含む。
 眠る女を起こさぬよう、そっと口移しで流し込む。
 正直に言ってかなりの苦さであったが、それを数度繰り返した。

「ほうほう」

 空になった器を受け取りながらヌマーカは感心していた。
 シオリも女の額に手を当ててみると確かに熱い。
 この洞窟内の部屋は夏だというのにいささか冷える。

「絶対に助けたい」

 シオリのつぶやきはニホン語のため、アカメ以外には聞き取れなかった。
 シオリはこの女を助けたかった。
 それは決して慈愛の精神からくるものではない。
 知らない世界に迷い込んだ現状の心細さを、この人と分かち合いたいと思ったにすぎない。
 同じ境遇のこの人と一緒にいたい。
 この人を助けることで、自分も救われる。
 そう思ったのだ。
 そのためにも何とか元気になってもらわなくてはならない。

「あ、あの、お願いです。一晩この人の看病を私に任せてはもらえませんか」

 きっと大丈夫。
 自分は看護学生でもなければおそらく保健委員でもない。
 でも大丈夫。
 根拠はないが自信はあった。

「あなたがですか?」
「お願いします」

 アカメが通訳するとヌマーカはそれを了承した。
 ニンゲンのことはニンゲンに任せたがいい。
 ヌマーカの意見に反論する者はいなかった。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」先行掲載、鋭意連載中、「ノベルアッププラス」には467話(更新停止)まで掲載されています。

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