あと半刻もすれば夜も明けるだろう。
アメの洞窟の入り口で、ヌマーカとタイランは寝ずの番を続けていた。
ヌマーカは見るとはなしに、森の木々に遮られた暗闇を見つめていた。
少し離れた岩場の上で、タイランも同じく木々の間から覗く夜空を見上げていた。
今夜は月も星も見えない。
厚い雲に遮られているためだ。
月光や星明りが届かないのは身を隠すのにはうってつけだが。
(だが、明日はひと雨降るやもしれぬな)
タイランが夜空からヌマーカへと視線を移す。
予定では明日の夜までこの洞窟で待機することになっている。
村へ偵察に出たアマンという若者が戻るのを待つためだが、雨が降るなら衰弱しているニンゲンの娘を出させるわけにもいくまい。
(せめて体調が戻らなくてはな。それに)
雨はまずい。
敵の接近に気づきにくいうえ、ぬかるんだ地面がこちらの足跡まで残してしまう。
タイランはその辺りの対策を今のうちに相談しようとヌマーカへと視線を移したのだ。
その時ふと、空気が震えるのを感じた。
最初は小さかった。
だがやがて大きな振動を伴い、圧倒的な力の本流が近づいて来る気配があった。
異変にヌマーカも気付く。
しかしそれは身構える余裕もない一瞬の事であった。
赤光!
目の前の樹上スレスレを一条の火線が迸った。
遅れて轟ッという音激と、葉や枝が吹き飛ばされる衝撃がやってきた。
それは一瞬だった。
辺りはすでに静寂に包まれている。
この葉や枝切れが舞うばかりだ。
「な、なんじゃ! 今何かが、通り過ぎたようじゃったァ」
突然の出来事だったが確かに見た。
迸る火線が夜空を赤く切り裂いた。
「タ、タイラン殿」
タイランも同じように固まっていた。
だがヌマーカとは少し驚き方に違いが見える。
「現れたか……アユミ……」
「タイラン殿?」
タイランは旅人帽を目深にかぶると、その表情をヌマーカから隠した。
(やはり何か事情があるか)
常に泰然自若としている赤い騎士が、いつになくうろたえている。
タイランの様子を見ながら、ヌマーカはまた気を引き締めにかかっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
振り下ろされた斧と鎚矛をアマンは辛くも避けた。
そしてすぐさまトカゲたちに背を向け全速力で逃げに徹する。
「ま、待ってくれよ! アマァン」
生き残っていたカエルも慌ててアマンの後を追う。
「逃がすかァ」
二匹のカエル族をボイドモリが追う。
部下を連れてゲイリートも後に続いた。
逃げる事だけ考える。
アマンはそれに集中した。
最善はやはり侵入してきた沼から水中を泳いでアマスト川へ出るルートだろう。
水中ならトカゲどもよりも素早く動ける自信がある。
夜明けまで半刻。
夜陰に乗じることも出来るし、地の利もある。
「ただ……」
マイナス要素があるとすれば助けた村人だ。
アマンのすばしっこさについてこれる者などこの村にはいない。
しかし助けた以上、最後まで面倒を見る義務がある、とアマンは律義に思っていた。
「って、オレが助けたのはどいつだ?」
逃げながら振り返り素性を改める。
「はぁ、はぁ、待ってくれ、アマァン」
「げっ! テメェはインバブラじゃねえか」
「ゲ、ゲココ。そうとも、オレ様だよアマァン」
アマンは思った。
最悪だ。
よりにもよって、村一番の嫌われ者だとは。
「なんで生きてんだよインバブラ」
「そう言うなよアマン。友達だろ?」
「ちげーよ」
アマンはインバブラが嫌いだった。
いや、おそらくインバブラを好んでいた者はわずかだったろう。
こいつは平気で悪さをする奴だった。
真面目に働くこともせず、普段から酒びたりの飲んだくれであった。
酒癖も悪く、機嫌が悪いと誰彼かまわずケンカを吹っ掛けるのだが、これがまた滅法弱い。
もともと気の優しい者の多いカザロの村人たちは、逆にインバブラを怪我させないよう、落ち着かせることに苦心したものである。
また、他人を騙して小銭を稼いだり、こっそりと盗みを働くこともしばしばであった。
本人曰く、すべての原因は過去の戦争であって、自分はどこまで行っても被害者なのだそうだ。
しかしそれゆえ誰もまともに相手しようとはしなかった。
責務を果たさず権利ばかりを主張する。
貧しくとも懸命に生きようとするカエル族の村では相容れないタイプであった。
だがアマンからしたらインバブラは単にろくでなしでしかない。
「うぉっ」
ドン!
走るアマンの眼前に後方から投げ込まれた巨大な斧が突き立った。
ボイドモリである。
「くッ」
思わずのけぞったアマンだが、そこは止まらずその斧を飛び越え……ようとして後ろから腰のベルトをインバブラに引っ張られ尻餅をついてしまった。
「イテーな、邪魔すんなよッ」
「置いてかないでくれよォ、アマン」
泣きそうな顔で懇願するインバブラだが、アマンはにべもない。
「うるせーな、逃げたきゃ逃げろよ! けどついてくんな!」
そうこうしてるうちにトカゲどもが追い付いてきた。
周囲を囲まれてしまう。
「すばしっこいクソガエルだな。それに威勢もいい。オレの最も嫌いなタイプだぜ」
部下から剣を受け取りながらボイドモリがにじり寄ってくる。
「くそっ! やるしかねぇか」
アマンはだんびらを腰だめに構える。
迫るボイドモリが剣を上段から振り下ろした。
ズガアァァァァァァン!!
その時、後方で大きな爆発音がした。