
マラガの街を見下ろす丘の上で、アユミはゆで卵の殻剥きに悪戦苦闘していた。
肩で切りそろえた赤い髪を風になびかせて、藤色のだぶついたセーターと、パツパツの黒いレギンスに、粉々になった卵の殻をこびりつかせてイライラしていた。
「あ~ん、もう! なんできれいに剥けないかなぁ」
手の中の、だいぶ白身の削り取られたゆで卵を眺めて毒づく。
「不器用だな、アユミは」
アユミの正面に座り、すいすいと殻をむく、飛行帽をかぶったカエル族の若者が笑う。
彼の名はアマン。
ここより西、辺境大陸にあるカエル族の村、カザロの自称勇者アマンだ。
アマンが笑いながら揶揄するので、アユミは口を尖らせながら不満を述べた。
「あのねぇ、あたしが不器用なんじゃなくって、この世界の卵が剥きにくいだけなの!」
「はあ?」
「だって、日本にいた時はきれいに剥けてたもん!」
そう言ってアマンの手の中でツルツルに剥けたゆで卵にアユミがあ~ん、と口を開けて待機する。
「お前、自分で剥いたそれがあるだろ」
「そっちがい~い! あ~んッ」
「ったく……」
やれやれと言った顔をしながらアユミの口元に卵を差し出してやると、アユミは嬉しそうにパクついた。
「ん~、おいしっ! じゃああたしのはアマンにあげよう! あ~んして」
歪な形のゆで卵をアマンに向けた。
「いいよ、まだあるから。自分で食えよ」
「それじゃダメなのぉ! お互いにあげっこするの!」
「めんどくせえなぁ」
「言う事、聞いてくれないんだッ」
スッと目を細めたアユミがアマンに人差し指を一本向ける。
ボッ! と一瞬にしてアユミの指先に小さな炎が灯った。
「丸焼きにしちゃうぞ」
「あぶねっ! なんでこんなことで脅迫されなきゃいけねぇんだよッ」
「いいから口開けてよぉ! はい、あ~ん……」
「おい、やめ……ぎゃあぁ」
後退りしすぎて、アマンとアユミはもつれ合いながら丘の上から転げ落ちた。
数メートル下った草の上で寝ころんだまま空を見上げる。
「ぷっ、あははははは!」
「……ゲコ」
初秋のさわやかな風と草の匂いを感じながら、いま、アユミはとても心地よい気分だった。
こんな時間をずっと過ごしていたい。
流れる雲を見つめながら、それでもゆっくりと形を変える雲を見て、それは叶わないことなのだと思い詰める。
帽子についた草の切れ端をはたきながら、アマンは眼下の街道を行く一台の荷馬車を発見した。
とぼとぼと、どうやらマラガの街へと向かっているようだ。
「お、おい、アユミ! 来たぞ、あれだ」
アマンが立ち上がり荷馬車を指差す。
二頭立ての馬車を引く、くたびれた様子の御者がひとり。
それと荷台にも大柄な人影がふたつ。
フードを目深にかぶり、じっと座って動かない。
陰気な様子が漂っている。
屋根のないその荷台には大きめの木箱がいくつも積み重なっている。
荷崩れしないよう幾本もの綱でしっかりと固定されていた。
アユミも起き上がりその様子を確認する。
もう空に流れる雲のことなど忘れていた。
「ん~、あれなの? 見た感じフツーに荷物を運んでいるように見えるけど……」
「あれなんだよ! いくぞ」
「うん!」
アマンとアユミが一息に丘を駆け下りると、颯爽と荷馬車の前に躍り出た。