自由都市マラガ。
エルフの里があるセンリブ森林から南西へ、およそ千キロほど離れた位置にある。
三方を海に面した半島にある城砦都市である。
もともとは小さな漁村でしかなかったが、西の辺境大陸への玄関口として各地から集まった商人により大きく栄えた歴史を持つ。
そのためこの街には王族がいない。
有力な商人たちの合議制によって自治権を確保しているのである。
表向きはそういうことになっている。
海を隔てて西と東、二つの大きな大陸の中心に位置するこの街は、海運業の重要拠点となり、多種多様な種族が入り乱れる雑多な街となった。
そのような街の性質上、他のどの街よりも群を抜いて犯罪者の数も多い。
そう言った輩を取りまとめるのに最も適した方法とは何か。
悪には悪を持って制するのだ。
実質この街を牛耳っているのは盗賊ギルドに他ならない。
ゆえに人々はこの街を本来の自由都市ではなく、盗賊都市マラガと呼ぶのだ。
夜明け前の薄暗がりの時分、街中を縦横に走る運河を一艘の小舟が走っていた。
船頭の巧みな櫂捌きで、迷路のように入り組んだ運河をすいすいと渡っていく。
海洋で財を成したこの街の主な運搬はこうした小舟によるものだ。
街の内外に運河が網の目のように走っており、馬車を使うよりも小舟を使った方が利便性が高いのだ。
やがて小舟はひとつの桟橋に着けると船頭が舫い綱で流されぬよう固定した。
その船頭、よく見ると人間ではない。
鱗の肌や背びれを持つ、魚人族と呼ばれる半漁人だ。
小舟からはひとりの小柄な人物が降りたった。
暗がりで判別しずらいが、こちらはどうやら人のような姿勢で歩いている。
黒いフードとマントで覆われ、その姿は見事に闇夜に紛れていた。
どうも女であるらしい。
香水であろうか、その人物の通り過ぎた後には仄かに花の香りが漂っていた。
船頭が去りゆくその女を名残惜しそうに見つめていた。
女は桟橋をあがると迷うことなく路地裏へ踏み込む。
建て増しに建て増しを重ねた、幾重にも重なる雑多な建築と、迷路のような路地を抜け、やがてある建物の裏口へとたどり着いた。
扉は中から開けられ、女はするりと入っていった。
建物内も路地に負けずに入り組んでいた。
いくつもの扉や階段を通り抜け、ようやく目指す部屋へとたどり着くと最後の扉を開け、中へと入る。
「おかえりなさいませ、長」
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ」
一斉に野太い声が部屋中に響いた。
広めの部屋は豪奢な家具や調度品が置かれ、中央には楕円の長テーブルとその周りに十数人が揃って一礼していた。
そこに集まった面々は、知る者が見れば泡を吹くようなメンツだった。
すべてが名の通った盗賊や悪党、浪人、カジノや娼館などの経営者、指名手配されている殺人者までもが顔をそろえている。
その者たちが皆、部屋に現れた女に対し、深々と礼をしているのである。
「ふむ。みな楽にせい」
女は部屋の奥、一際豪華なソファーへ向かい腰を落ち着けると、他の面々も思い思いに居住まいを正した。
女は目深にかぶったフードをたくし上げて顔を出す。
そこには先日、センリブ森林で銀姫と相対していたあのエルフの女王、ト=モの顔があった。
悪名高い盗賊都市、それを裏から牛耳っているのがここに集まった彼ら盗賊ギルドの面々であり、ト=モはその長、マラガの盗賊ギルドマスターなのであった。
今この部屋に集まっているのはギルドの幹部連中である。
どいつもこいつも、ひとクセもふたクセもありそうな面構えをしていた。
主億も年齢層も見事にばらばらである。
その中のひとり、変色竜族のウサンバラがまず一歩前へと進み出た。
「長。お疲れでしょう。こちらをどうぞ」
そう言って真新しいキセルを手渡す。
「今年はなかなかの上物に仕上がっております。売り上げも前年度を大きく上回りましょう」
「バニッシュか。どれ」
近年マラガを中心に出回っている麻薬である。
ト=モが慣れた手つきでキセルをくゆらせる。
「……ふぅ。わるくないな」
「ありがとうございます」
人心地着いたト=モに別の幹部がすり寄ってくる。
「長ぁ、サキュラの司教をさらったんでしょぉ? それ、どうしたの?」
頭に猫の耳を生やした猫耳族の女だった。
首に赤いスカーフ、全身に鋲打ちされたピンクのレザーベルトを巻いたこの女の名はラパーマだ。
「キャリーで遊んだら壊れてしもうた」
「えぇぇぇッ! もったいない。あたしも遊びたかったのにぃ」
「フフ、もっといいものを見つけたからのう」
「銀姫の事か?」
割って入ったのは破戒僧、犬狼族の聖バーナードだ。
がっしりとした体躯に神父の礼服を纏い、なんと背と腰にそれぞれ長剣を佩いている。
「姫神の持つ剣に興味がある。そろって特異な能力が付加されてるそうだな」
バーナードは刀剣コレクターだ。
それも魔剣に属する側への興味が深い。
「銀星号とか言ったか。ぜひ欲しいものだ」
「はて、姫神以外に使えるのかどうか」
「長が言ってるのは銀姫ではなく桃姫の事でありましょう?」
そう発言したのは奥の方に佇んでいた人間の女? だった。
華奢な体つきにフリルのふんだんにあしらわれた赤と黒のゴシックなドレスを纏っている。
長い金髪をツインテールにし、黒い瞳、肌は白。
どこから見ても完璧な美少女のようだが。
「桃姫を長がお拾いになったとか。サキュラの聖女、私の娼館に入れたかったのですがね」
声が低い。
明らかに男の声とわかる。
「耳聡いな、チェルシー。そなたのエスメラルダへの憎しみもわかるが、今回は赦せ」
「はい」
チェルシーについてはト=モ以外、他の幹部連中もあまりその過去を知らない。
かつてエスメラルダに滅ぼされた、亡国の王子であったという噂だけが、まことしやかに語られている。
「へっ、おかま野郎が」
チェルシーが今の発言をした者に冷たい視線を投げかけた。
発したのは一際大きな体を持つトカゲ族のコモドであった。
「コモド。なにやら落ち着きがないように見えるが、長に報告することがあるのではないか?」
チェルシーの反撃にコモドはギョッとした。
余計なことを言うな、とチェルシーを睨む目が声高に告げている。
「ふむ。実はわらわもそれが気になってのう」
ト=モの言葉にコモドの額から止まらない汗が噴き出した。
「コモドや。最近わらわの送った奴隷の売り上げが落ち込んでいるようだが?」
「奴隷解放戦士のせいだよねぇ、コモドッ」
ラパーマがニヤニヤしながら横やりを入れる。
「奴隷解放戦士? なんじゃ、そのふざけた名前は?」
「は、はあ、その実は……」
コモドがしどろもどろになりながら説明し始めた。
「炎使い?」
「はい。ニンゲンの小娘なんですが、炎の術技を操るなかなか手強い奴でして」
「そやつが護送中の奴隷を解放して回っているというのか」
「すでに何人もの護衛がやられています」
「素性は?」
「申し訳ありません。現れる時はいつも二人でして、赤毛の小娘と、カエル族の小僧です」
その質問にはウサンバラが代わって答えた。
「そうだ! あのカエルも生意気でムカつくんだ」
コモドの顔はいつの間にか動揺から怒りへと変じていた。
「人間が炎のマギを操るなど聞いたこともない。精霊術を行使するエルフならともかく。ふむ、網をはるか、コモド」
「ハッ! 次こそ必ずや返り討ちにしてやります!」
「できればそのニンゲンは生け捕りにしたい」
「生け捕り? 奴隷として売るのですか?」
「まだ、わからぬ。ちと気になる程度じゃが。頼んだぞ」
キセルをくゆらせながら天井を見つめるト=モに対し、一同は深々とこうべを垂れた。