月と星が煌めく夜空の下で、王都エンシェントリーフから五百の騎馬が飛び出した。
銀姫ナナを先頭にした、彼女直属の近衛兵たちだ。
全身を甲冑で固めたナナ以外、みな軽装騎兵である。
支給されている武具は片刃で峰の反り返った曲刀シャムシールと弓矢、板になめした革を張った小盾である。
エスメラルダ古王国は砂漠と荒れ地に囲まれている。
かすかに緑色がかった粒の混じる、東の大陸の名称緑砂大陸の語源ともなった大国である。
王都から南へ行くほど険しい峡谷が続き、いくつもの山脈、峡谷を越えればそこは〈大魔境〉と呼ばれるアーカム地方。
東へ向かえば巨大な岩が無数に空に浮かび、磁気嵐が活発な〈浮遊石地帯〉。
そして、南西にエルフの拠点がある広大な〈センリブ森林〉が広がっていた。
ナナは西へと進路をとる。
時刻は真夜中。
松明の明かりに照らされた隊列が長い尾を引いていく。
「日の出までにセンリブ森林へッ」
急げば馬の足なら半日で辿り着く。
そこからはエルフの領域。
人間とエルフが反目しあうようになってから数百年。
森へ向かう人間はいない。
歓迎するエルフもいない。
「だが私は止まらぬぞ」
ナナは愛馬に鞭を入れ先頭を駆けた。
森へ着いてもこのまま駆け抜ける気でいた。
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エルフの女王ト=モの寝所は、たゆたう煙の靄で霞んでいた。
広々とした一角に敷かれた布団は乱れ、それを周囲に立てかけられた屏風が覆い隠している。
枕元に焚かれた香炉からは怪しげな香りのする煙が漂い、そばにあられもない姿で放心したハナイが横たわっていた。
軽く後ろ手に拘束され、竹筒の猿轡を噛まされている。
彼女は身動ぎもせず、敷布に着いた赤い染みを見るとはなしに見ていた。
かたわらにエルフの女王がキセルをふかしている。
美味しそうに吐きだした煙を目で追いながら快楽の余韻を楽しんでいた。
「いかがであった……聖女殿」
女王の問い掛けにもハナイは反応を示さない。
「ニンゲンもエルフも同じだ。その身に快楽を求める事こそ生の証し」
「……」
「処女信仰などたかが知れておるぞ。生きる意味も知らずにどうして人々を導けるのだ」
女王はハナイの猿ぐつわを外してやった。
たまったよだれが糸を引いたがハナイは口を閉じる余力も示さなかった。
女王が笑った。
「自死など考えぬことだ。舌を噛み切るのは案外難しいぞ」
「……このうえ自ら命を絶つなど、そのような背徳、犯すつもりはありません」
かすれた声で答えが返る。
「それはそうだろう。そなたは今日、ようやく生きる喜びを知ったのだからな」
「わたくしは……信仰に操を立てていたのです」
「ありもしない偶像にか?」
「神はいます。己の中に」
「アハハハッ。それはサキュラ神か? それとも姫神の事か?」
ハナイの顔が思いがけず真っ赤になる。
「ざ、戯言をッ! わたくしはナナのことをそんな風には……ッ」
したり顔の女王を見てハナイは口を閉じた。
「それでいい。聖女と言えど人の子だ。それでこそ面白い」
「…………」
うつむいて顔を隠すハナイの屈辱を面白がりながら、ト=モは次の動きを待っていた。
すると時を見計らったようにエルフの戦士が報告を携え入室してきた。
「ト=モ様!」
「来たか」
「はい。銀姫が我らの領域へと侵入しました。数は五百ほど」
「よし。エントを三機、起動せい」
「ハッ」
「それと……」
ト=モはハナイを一瞥してから戦士に命令を付け加える。
「キャリーの準備をしといておくれ」
一瞬エルフの戦士に嫌厭の情が見て取れた。
「は、はい……かしこまりました」
退室する部下を見送ってから、ト=モは自身の戦支度を始めるためにお付きの者を呼び入れた。
「どれ。件の銀姫とやら、その力を見せてもらおうか」