【第74話】愉悦に浸るライシカ

「なりませぬ」

 エスメラルダ古王国を治める法王サトゥエの声が弱々しく広間に流れた。
 オールドベリル大聖堂がエルフに襲撃され、ハナイ司教とお付の侍従が数人連れ去られた。
 すぐに兵を率いて追いかけるべきだと、銀姫ナナは出陣を願い出た。
 しかし法王はそれを認めなかったのだ。
 よもやの回答にナナは耳を疑った。

「し、正気ですか! 我が国の大聖堂が襲撃され、要人がさらわれたのですよ! それを放っておかれるつもりか」
「口が過ぎましょう、銀姫殿。慎まれよ」

 オホン、とひとつ咳払いをして、法王の隣に控えた女性が口をはさんだ。
 サキュラ正教の大司教にして、実質この国を取り仕切っている女、ライシカだ。
 及び腰の法王の前に立ち、ひざまずくナナを慇懃に見下ろしている。

「申し訳ございませぬ……」

 ナナは歯噛みしつつも堪えて非礼を詫びた。

「放っておくつもりはありませんよ。ですが、今あなたを出陣させるわけにはいきません」

 サトゥエ法王が消え入りそうな声でそう告げる。

「何故です?」

 ナナの疑問に答えたのはライシカであった。

「此度の襲撃、陽動と思われます」
「陽動?」
「そうです。ハナイ司教を餌に、銀姫殿と我が国の誇る翡翠ひすいの星騎士団を国外におびき出す。手薄となったこの王宮を狙う恐れもあります」
「ばかな! エルフにそこまでの戦力はありませんッ。それよりも国の重要人物をないがしろにすること、それ自体が国を滅ぼすことになります」
「ハナイ司教は信仰と共に、その身を法王、いえ、この国に捧げる覚悟がおありです。自らのために兵を危険にさらすなど望まれないでしょう」

 ナナは込み上げる怒りを抑えるので必死だった。
 この状況はライシカにとって願ってもないものなのだ。
 エスメラルダはサキュラ正教が国教として定められており、サキュラ正教会の最高位である法王がそのまま国を治める習わしとなっている。
 しかし実質この国を支配しているのは大司教ライシカだ。 
 現在の法王サトゥエは四十五歳。
 名門貴族の出である彼女は政争に勝利しこの地位に就いたのだが、その後押しをしたのが大司教ライシカに他ならない。
 ライシカは決して自分が頂点に立つことはしない。
 必ず傀儡かいらいを立て、裏から操る。
 都合が悪くなれば捨て、また新たな操り人形を用意する。
 四十二歳になるライシカはそうやって、この国を長いこと裏から支配してきた。
 もはやライシカに逆らう者はこの国にはいない。
 が、唯一といえるのがハナイであった。
 今や教会は政治の場と化したが、ハナイはその純真なる信仰心で国民の人気を得ていた。 
 神学、医術に長け、二十歳にして司祭、わずか二十五歳にして一教区を指揮する司教を務めるまでになった。
 身分に関係なく困っている者に手を差し伸べるその姿から、早くも〈聖女〉の称号を待望されている。

 そしてある日、ハナイの目の前にナナが現れた。
 ハナイの祈りにサキュラ神が応えたのだと、噂が一気に広まった。

 ハナイに庇護されたナナは早々に銀姫へと覚醒し、度重なるエルフの襲撃を退けた。
 王国内での地位もみるみる上がっていき、ついにはわずか半年で騎士団長にまで上り詰めた。

(私が邪魔で、仕方ないのであろうな)

 ナナはライシカの心情を推し量っていた。

(ハナイ様に野心などあろうはずもないのに。己がそうであるからと勝手に疑心暗鬼に陥っている)

 そう考えると今回の事態、法王をそそのかし消極的に済ますつもりであることは明白だ。

「陛下! ならば騎士団の大半は王国の守備に残します。どうか私めに出撃の許可を」

 しかしそれすらもライシカが遮った。

「この話はここまでにします。陛下もだいぶお疲れの様子」
「ですがッ」
「今は待つことです。いずれエルフの声明が出されましょう。対応はそのあとでも遅くありません。いえ、むしろ相手を刺激しないことです」
「陛下も同じお考えなのですか」
「銀姫殿。くれぐれも、軽挙妄動は慎まれますよう。忠告いたしましたよ」

 ライシカに促されてサトゥエ法王は奥の間へと引き下がった。
 謁見の間に居合わせた諸々の廷臣たちもみな退室していく。

「くっ」

 ナナは怒りを抑えきれず具足で床を踏み鳴らしながら宮殿を辞すると、その足で宿舎へと向かった。
 すぐに待機していたスガーラが近付いて指示を仰いだ。

「出陣だ。私直属の近衛兵団のみでエルフの拠点、センリブ森林に向かう」
「よろしいのですか?」
「私が真に忠誠を誓うのはハナイ様だけだ。傀儡などにではない」
「お声が大きいです」

 スガーラは肝を冷やして周囲に注意を払った。
 どこでライシカの間者が聞き耳を立てているか知れたものではない。
 ナナの失言とあらば嬉々として報告するに決まっている。
 しかしナナは気にしていなかった。
 なにせ今より堂々と命令違反を犯そうというのだ。

 かくして、銀姫ナナは直属の近衛兵の内、精鋭のみ五百を率い、真夜中に王都を出発した。
 当然、ライシカはその様子を宮殿の外壁上から眺めていた。

「想定内です。これで銀姫のみが帰参したなら懐柔する手もありましょう。ですがもしハナイと共に無事に戻ってきた場合は……」

 ライシカの形の良い口元がいびつな笑みで崩れた。

「背信の罪をかぶっていただかなくては。フフフフ」

 外壁上にくべられた松明の赤い光りも届かぬ隅の暗がりに人影があった。
 ライシカが目をやると、そこに控えていた人影がスッと立ち上がる。
 闇に同化するかのような黒いレザーボンデージに、長い耳を持つエルフがそこにいた。

「ナ=シ。あなたの主に伝えるといい」

 こくんと頷いたそのエルフは、再び暗がりに溶け込むとすぐに気配が完全に消えた。

「フフ。ハナイが消えるもよし。銀姫が消えるもよし。そろそろエルフに消えてもらうのも、それもまたよし。せいぜい派手に潰しあってもらいたいところね」

 将来の安泰を思うと興奮して今夜は寝付けそうにない。
 少し早いが祝杯を上げてもいいかもしれない。
 愉悦に浸りながら、ライシカは上等のワインが待つ自室へと引き上げた。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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