
石壁に覆われた室内はひんやりとして心地よかった。
塔の最上階に位置するこの部屋はとても狭く、木製の文机と、椅子がひとつある以外は家具と呼べる物が見当たらなかった。
空が夕闇に染まるまでまだ時間はあるはずだが、窓ひとつないこの部屋からはそれも確認できない。
室内の明かりは文机の上に灯されたひとつの小さなランプだけが頼りだった。
全身を銀の甲冑で固めた少女はその室内で直立したまま待機していた。
肩口で切りそろえた銀色がかった髪に切れ長の瞳、唇を真横にきっと結び、厳しい表情で明かりを見つめている。
印象としてはやや小柄ながら意志の強そうな表情から、何者にも舐められまいとする気持ちが伺えた。
この部屋に案内した若いメイドが入り口とは別の奥の扉に消えてから何分経ったろう。
時の経過を知らせてくれる何物もここにはないため、少女はなおさら時が長く感じられた。
公務の間の短い暇を利用してここへは赴いた。
この待機時間で目を通せた書類はいかばかりだろうか。
(そろそろ焦れそうだ)
そう思い始めた頃、ようやく奥の扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。
現れたのは老人だった。
紫のローブを着たその老人は、目深にフードをかぶりうつむき加減で現れた。
部屋の薄暗さと相まってよく顔は見えない。
動き方から判断してそれなりの歳を重ねていると思われた。
だが少女がなによりも驚いたのは老人の歳ではない。
(男、か?)
この国では数が少ないのだ。
砂漠の中央にあるこのエスメラルダ古王国では圧倒的に女性が多い。
少なくとも少女はこの国で男を見たことがなかった。
「おや? 待たせてしまったかな。申し訳ない」
老人はそういうと静かに文机の前にある椅子に腰かけた。
「この塔に来客があるのは滅多にないことゆえ、客室も、もてなす椅子さえもないのだ」
「構いませぬ」
「それにお茶の用意もなってないな。おぉい」
老人が奥の扉に声をかけると先程とは別のメイドが現れた。
少女を案内したメイドより二十歳は上に見える。
中年の域に入りかけている感じだが、こんな塔に居るのにくたびれた感はない。
むしろ何かホッとするような、妙な安心感を与えてくれる。
(それに、なんだか似ているな)
この部屋に通してくれたのは若いメイドだったが、顔立ちや雰囲気が酷似していた。
母子だろうか。
少女は一瞬そう思ったが特に気に留めようとはしなかった。
「マユさん。この方にお茶のご用意を……」
「いえ、結構です。お気遣いなく」
少女の断りに老人とメイドは顔を見合わせ小さく頷きあった。
メイドは軋む音を立てながらゆっくりと扉から出ていった。
老人が体の正面を少女に向けた。
「さて……何のお話をしようかの」
「お初にお目にかかる。私はエスメラルダ王国軍翡翠の星騎士団長にして姫神、銀姫ナナと申します」
「知っておる。凛々しき姫神よ」
「失礼ですが、あなたが偉大なる年代史家エンメ殿でありましょうか」
老人はくすくすと笑いながら答えた。
「年代史家、書記官、監視者、様々に呼ばれるが、だが偉大ではないぞ」
「……」
「ふぅむ……その通り、私がエンメだ」
少女、銀姫ナナの反応の乏しさに落胆の色を見せつつ、意外なる年代史家なるエンメは鷹揚に頷いた。