「この塔への訪問者は少ない。さてご用件は何かな?」
ナナは単刀直入に切り出した。
「あなたはこの世界の事象を全てリアルタイムで観察できる千里眼の持ち主だと伺いました。その力を我らエスメラルダにお貸しいただきたい」
「私に銀姫に与せよと申すか」
「いかにも」
余計なことは言わない。
全てにおいて率直を旨とするのがこの少女らしい。
「それはできぬ……承知しておろう?」
「伺っております。ですが理由は存じません」
「だろうな」
エンメは訪問者の用件に軽い失望を抱いた。
それを気取られぬよう一層深くフードをかぶりなおす。
「エンメ殿。あなたの力が加われば、他の姫神に私は抜きんでることができます。ご一考を」
エンメは片手を上げてナナを制した。
「この話はここまでだ。私はどの姫神にも属さぬ。ただ姫神の記録を書き綴るだけだ」
「この塔が何処にあるのか理解しているのですか?」
ナナが少し声を低める。
「エスメラルダの首都エンシェントリーフの中ですぞ。あなたは我が国に保護されている身だ。それをお忘れに……」
「できるなら追い出してほしいのだがな」
話はここまでという風にエンメは背を向けると、机上に重々しい書物を置いて白紙のページを開いた。
「いささか時間を無駄にした。私は書き綴らねばならない」
「お待ちください! ならばせめて、その千里眼をもって私以外の姫神の動向をお教え願えませんか?」
エンメの背中に懇願するが、彼はインク瓶に羽ペンを浸すことに夢中だった。
「各地に放った斥候によれば先日、西の辺境大陸に大きな白光と黒い渦の激突を見たとのこと。また彼の地では暴走する火竜を見たとの噂も聞きます」
瓶から持ち上げたペン先に黒い液体が浸み込んでいるのをしげしげと見つめる。
「さらに我らエスメラルダ東の砂漠、浮遊石地帯を抱え込む五氏族連合には未確認ながら金姫の目撃情報があります」
居住まいをただすと羽ペンが流れるように白い大地を駆けまわり出した。
「そして南に広がる大魔境アーカムに巣食う戦闘怪人どもがかしずく藍姫は未だ不気味な沈黙を保ったまま」
エンメは音楽のタクトを振るうように羽ペンを走らせた。
一切の迷いや熟考はない。
ページは瞬く間に白から黒へと色合いを変えていく。
「エンメ殿! 降臨の兆し見えぬ桃姫を差し引いても、我らはジッとしているわけにはいかないのですッ。私は勝ってこの国を護りたい」
「国かね?」
手を止めたエンメの指摘だが、ナナは喉がつかえて即答できなかった。
「私は何もせぬ。故に中立。ただ歴史を綴るのみだ」
エンメは話は終いだと言って机に向かった。
ペンが紙面を走る心地よい音だけが流れた。
「……そうですか。残念です。今日のところは引き下がりましょう。ですが、ここが安全な場所だとはゆめゆめお考えにならぬよう」
「マユさん」
エンメが呼ぶと二つある扉のうち、ナナが入ってきた入口の扉が音もなく開いた。
ナナを案内した若いメイドがそこにいた。
(ん? たしか先程の年配のメイドにも同じ名を呼んでいたような?)
「銀姫がお帰りです」
「はい、どうぞ。お出口までご案内いたします」
若いメイドはかしこまって一礼するとナナを促した。
「失礼する」
釈然としないまま、ナナはあえて甲冑の音を響かせて部屋を出た。
ペンの立てる音が無性に腹立たしかった。