【第65話】朝露に濡れた草の上で

 黒い夜空にシオリ達の姿が見えなくなっても、レイはただただ虚空を見上げて立ちすくむばかりだった。

 いつの間にか、レイは闇のドレスから就活生のスーツ姿へと戻っていた。
 オーヤは何も言わず、レイの背後に立っている。
 その眼には歓喜と、憐憫と、さらに決意の意志が見られた。
 そのうちにレイの、すすり泣く声が聞こえ始めた。

「う……うぅ……どうしよう、わたし、わたし…………」

 レイの慟哭は次第に大きくなっていった。

「どうしようわたしッ……シオリさんのこと! 殺そうとした! うっ、うぅ……」
「そうね」

 オーヤはレイの黒髪を撫でてやりながら、頭を優しく胸に抱く。

「だからみんな逃げてしまったわ。あなたを置いて、あなたを助けに来たはずなのに」

 オーヤの言葉にレイの顔が歪んだ。
 絶望が滲んでいた。
 何にすがればいいのかもわからなかった。

「もう、どうしたらいいのか……う、う」
「大丈夫よ。あなたは姫神なのよ。なんでもできるの。私を信じなさい」
「…………は、い」

 泣きはらした顔でレイはオーヤを見つめた。
 今すがれるのはこの魔女しかいないのだと悟った。

「ただ、あなたの力は強大すぎるわ。好き勝手に使ってはあなた自身を壊しかねない。だから私の指示した時だけ、そのチカラを使いなさい。いいわね」
「はい」
「いい子ね」

 オーヤは大人しくなったレイをある天幕へと連れて行った。
 中あるのはただひとつ、黒い棺だけだった。
 オーヤは不安げに立ち尽くすレイを背後から抱きすくめると、革製の拘束具を取り出した。

「なにを……」

 咄嗟に抵抗を示したレイだったが、魔女に冷たく睨まれると委縮してしまい、あとはされるがままだった。
 オーヤはレイの全身を拘束した。
 両腕は背中で、両脚はそろえて、胸や腰にもしっかりと革のベルトが巻かれていく。
 最後に筒状の口枷を咥えさせると後頭部に伸ばしたベルトで固定して言葉までも奪った。

「黒姫のチカラは闇。源泉は恐怖。あなたはそれを味わうほどにレベルアップしていくの」

 身動きの取れないレイを抱えると黒い棺の中に寝かしつけた。

「んん、んーッ」

 レイの目尻に貯めた涙を指で掬いあげてオーヤは愛しそうに語りかけた。

「必要があれば、この棺を開けてあげるわ。その時まで、闇に抱かれていなさい」

 棺の蓋が閉められる。
 重量感を称えた軋み音が耳に残る。
 外への光が閉ざされる最後の瞬間まで、レイは隙間を見つめていた。
 光は徐々にか細くなり、最後は全部消えてしまった。
 音も光もなくなった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 朝露に濡れた草の上に座り込んで、ウシツノとアカメは朝陽が昇るのを見ていた。
 どこまで飛んできたのか。
 タイランにしがみつきながら見ていた地上は夜目の利かない者にとってなんの情報も与えてはくれなかった。
 結局ゴズ連山のどこかの峠だとわかったのは昇る朝陽に照らされてからだった。
 シオリは変身を解き、ウシツノに寄り掛かるようにして寝入っていた。
 ウシツノの斬られた足を治療してくれたのだ。
 傷は治っている。
 白姫の治癒能力は本物だ。
 傷が癒えたのを見て、安心したのだろう。
 シオリは変身を解いた途端に気絶するように寝てしまったのだ。

「……レイさん……」

 小さな寝言が聞こえた。
 見るとかすかに目尻に涙が浮かんでいた。
 それを優しく掬い取る。
 ウシツノにとっても苦い経験となった。

「レイ殿……オレは守ると誓ったのにな……」

 そこへタイランがやってきて草上にドカッと座り込んだ。
 いつものような軽やかさがない。
 さすがに疲労の色が見て取れた。

「今、知らせが入った」
「知らせ?」
「うむ。ナキからの伝書鳩だ」

 ナキとはタイランと同じくクァックジャード騎士団に属する白い鳥の槍使いだ。

「奴め、危険なことをする。命令違反の私と連絡を取ったことが知れればどんな目に合うか」
「何が書かれていたのですか?」

 アカメが急かす。

「目撃情報だ。飛行帽をかぶったカエル族の若者と、赤い髪のニンゲンの娘が小さなボートで海を渡ったらしい」
「飛行帽をかぶった? それはアマンさんですよ」
「やはりそうか。ニンゲンの娘はアユミで間違いないだろう」
「紅姫、ですか?」

 タイランが頷いた。

「行き先は?」
「確かなことは言えんが、東の大陸であることは間違いない」
「東の大陸……ではニンゲンの都に?」
「さあな……他にもあの大陸には色々いるからな」
「エルフですか」
「あるいは……」
「何故アマンはオレたちに合流しようとしないんだ?」

 ウシツノが会話に割って入った。

「そのアユミというニンゲンと一緒というのも謎だな」
「そうですねぇ。推測はできますが、あのアマンさんですからね。何がきっかけでどうなる事か。予測するだけ無駄ですよ」
「ちがいない。ゲコゲコ」

 ウシツノが笑ったのをアカメは久しぶりに見た気がした。
 ほんの数日前まであんなに毎日を楽しく過ごしていたというのに。

「行くか! オレたちも、東の大陸に」
「そうですね」
「よかろう」

 アカメとタイランもその気のようだ。

「私もね……」

 見るとシオリが目尻をこすりながら寝返りを打っていた。

「寝言か?」
「起きてますよぉ。まだ眠いけど」
「ほんとか?」
「ハハハ、我々も少し休もう。まずは休息が必要だ」

 タイランの一言に異論のある者はいなかった。
 まぶしい朝陽を浴びながら、一行はもうしばらく体を休めることにした。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 暗い石造りの階段をカツカツと金属の足音を響かせて、銀色の甲冑に身を包んだ女が上っていた。
 塔の内壁に沿ってぐるりと伸びる階段は、一向に終わりが見えなかった。
 少しかび臭いこの塔の壁という壁にはびっしりと本棚が据えつけられていて、一部の隙間もないほどに本や巻物が差し挟まれていた。
 砂漠の真ん中にあるというのに、青いタイルで装飾された内部はひんやりとして涼しかった。
 着込んでいる甲冑の中の汗が冷ひいていくのを感じる。
 所々に灯りのついた燭台が壁に掛けられているが、冷気と相まって薄暗がりの方が印象に強い。
 いよいよ不安が募り始めたころ、ようやく階段の終わりが見えた。
 上りきると閉ざされた扉の前にメイドがひとり立っていた。
 若い、おそらく二十歳前後と思しきそのメイドは優雅に一礼すると軽やかな声で応対してきた。

「お待ちしておりました」
「待っていた? ここへ来るまで誰にも会わなかったぞ。今日出向くと申し入れもしていないのに」
「この塔の主が誰か、お忘れでございますか?」
「……なるほど」

 甲冑の女は目を細めると気持ちを入れなおし、メイドに告げた。

「では、主にお目通り願おう。銀姫ナナが会いに来たと伝えるがいい」

 第一章 姫神・放浪編〈了〉

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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