【第102話】ヒガの想い

「アマン様、ご主人様がお会いになられるそうです」

 執事のブリアードがその連絡を携え部屋を訪れた時、アマンは食事を終え、ちょうど武具の手入れを済ませたところだった。
 時計の針はとうに日付をまたいでいた。
 実を言うと半ばあくびを噛み殺しながらの作業を終え、うつらうつらとし掛けていたのだ。
 アユミはとうに自室で寝ていることだろう。
 今日助けたあのネダという娘も、今までに同じように助けた娘たちと同様、部屋をあてがわれ休んでいるはずだ。
 静かな夜更けと思いたいところだが、先ほどからガタガタと窓枠を叩く風の唸り声がけたたましい。
 雨は降っていないが外はだいぶ風が強そうだった。
 屋敷の周りに生えた木々のざわめきも亡者どもの叫び声のようだった。
 ブリアードに先導されて、アマンは屋敷の主がいる部屋へと通された。
 室内には寝巻の上にガウンを羽織っただけの、若く美しいニンゲンの女が待っていた。

「こんな時間になってしまって、ごめんなさい。お話があるんですって?」

 女はアマンに声をかけると居住まいを正し、細いフレームの眼鏡をかけた。
 女はこのマラガの街を取り仕切る五商星のひとり、エスメラルダ出身エンジ家の現当主、ヒガ・エンジであった。
 ブリアードが一礼して部屋を出ると女はアマンに座るよう勧めた。

「夜遅くまで忙しいんだな」

 ヒガの傍らには幾枚もの書類のようなものが積み重ねられていた。

「ようやく手筈が整いそうなのよ」
「手筈?」
「ええ。助け出した娘たちをこの薄汚い街から送り出すための手筈」
「それだ。聞きたかったことのひとつがまさにそれなんだ。オレとアユミは今まで二十人ぐらい娘を助け出したろ? それをいつまでこの屋敷でかくまっているんだろうって。故郷に帰すのか?」
「ええ。彼女たちは全員エスメラルダからさらわれてきたのだし、国に帰してあげるべきでしょう」
「どうやって?」
「私と取引のある商人の船に乗せます。船は北のハイランド経由で北方航路を行きますが、途中で下船してエスメラルダへは陸路で向かいます」
「まあ、その辺のことはあんたに任せるさ。オレが請け負ってるのは奴隷商人から護送されるエスメラルダの女を助けてここに連れてくるまでだからな」

 ヒガは異存ないという風で頷いた。
 それにしてもアマンは不思議でならなかった。
 ヒガの立場でいま行っていることは非常に危険なことだった。
 一度や二度ならまだしも、すでにアマンとアユミは相当数の護送馬車を襲撃している。
 そろそろ足がついてもおかしくない頃だ。

「なあ、なんであんたは盗賊ギルド相手にこんな危ないことをするんだ?」
「聞かない約束だったはずでは?」
「そうだけど、やっぱり気になる。はっきり言って奴隷の売買なんて今に始まったことじゃねえし、ましてあんたが助けるのはエスメラルダの娘だけだ。不公平じゃないか」

 マラガに奴隷市が立つのは何も珍しいことではない。
 世界中から奴隷商人が売買目的で訪れるのだ。
 もちろん需要に応じて種族や境遇は様々な者たちが売られていく。

「私は別に正義の味方ではないのよ。誰もかれもを助けることなんてできないわ」

 そう言って、ヒガは机上に置かれた写真立てをみつめた。
 そこに写る二人の若い女は向かい合い、優しくほほ笑んでいた。

「誰だい? ひとりはあんたのようだけど」
「親友……いえ、私にとってはもっとも親愛を抱く尊いヒトよ」
「その服装、サキュラの司教だろ」
「彼女は若くして聖女と崇められているわ。私と大違いよね」

 ヒガは愛おしそうに写真の中の聖女に指先でそっと触れた。

「そんな彼女……ハナイがかどわかされたという話が私の耳に入ってきた」
「まさか、奴隷に?」

 ヒガは首を横に振る。

「わからないわ。でも近年エスメラルダからマラガへと連れてこられる奴隷の数が急増している。ハナイならどうするだろう。ハナイに近付くためには私に何ができるだろうって考えた」
「それがオレたちを雇うことか?」
「最初は奴隷の完全撤廃を考えたわ。けどそれが通るのに何年かかるかしら。そんな時にあなたたちと出会った。不思議な炎の少女と私がうらやむほどに元気なカエルさん」

 アマンが首をすくめてみせた。

「けどよ、そろそろ危険だぜ。盗賊ギルドやつらの馬車を襲い続けるのはさ」

 アマンが言いたかったのはまさしくこれであった。
 潮時だろうと。

「わかっています。けど……」
「そのハナイって聖女がこの街に連れてこられるんじゃないかって思ってるのかい?」
「彼女の聖堂がエルフに襲われたと聞いて、すぐに確認を取らせました。……残念ですが、いまだ彼女の安否は知れません」
「どっちにしろ、ギルドはそろそろ別の手段を用いると思うぜ。警戒は、しといたほうがいい」
「そうですね」

 それっきり、ヒガは口を開こうとはしなかった。
 今夜はこれ以上この話をできないと察し、アマンは部屋を後にした。
 あいかわらず夜の風が窓を強く打ち付けていた。
 とても静かな夜とは言えない。

「そろそろ二明の刻か。オレも寝るかな」

 伸びをしながら窓外を眺めていたアマンだが、不意に外の庭を走る人影を見たような気がした。

「ん? いま誰かいたような……」

 目を凝らすアマンの視線の先で何かが光った。
 炎の光だった。
 光は庭の一角から勢いよく上空へと放たれた。
 光で一瞬、人影の正体が見えた。

「あれは、ネダ! あいつ、何してんだ」

 考える暇はなかった。
 光の残滓の中、屋敷の外壁を乗り越えてくるいくつもの影が見えたのだ。

「まずい、敵襲だ! 盗賊ギルドやつらの方が早かった!」

 アマンは慌てて駆け出した。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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