【第166話】一の月八日〈決闘の間〉

 部屋全体が血臭に包まれていた。
 決闘の間と呼ばれるその部屋は、謁見の間の青一色とは異なり真っ白い大理石で囲われていた。
 壁や床、至る所に飛び散る黒ずんだ血の跡を際立たせるためなのだとアユミは気が付いていた。

「かつては宮殿前の広場で決闘を催しておりましたが、サチ様のたっての希望で新たに宮殿内にこしらえましたのよ」

 ト=モは鼻白んだ。
 藍姫が降臨してまだ数ヶ月しか経っていないと言うに、新設されたこの場所に漂う血臭のなんと濃いことか。
 広さもある。
 ほぼ真四角で、周囲には高い壁の上から見下ろすように観覧席がぐるりと囲んでいる。
 サチとアユミを除く全員がその観覧席にいた。
 アユミが決闘場に足を踏み入れると背後の重たい扉が閉ざされた。
 頭上からは野蛮で攻撃的な野次が降りかかり、周囲と足元は冷たく固い石に支配されている。
 不安気に周囲を見るが唯一の顔見知りと言えるエルフの女王ト=モは、この国の戦闘怪人どもに取り囲まれながらアユミの頭上、真後ろの観覧席に立っていた。
 妖精女王ティターニアはその対面、反対側のしつらえられた豪華な席に座している。
 楽し気に傍らに置かれた果実に手を伸ばしついばんでいた。
 その他の席も異形の戦闘怪人、美しい宮殿の召使いたちが多くひしめいている。
 誰もがこれから始まる決闘に期待を寄せ、興奮を隠すことなくはしゃいでいた。
 みな期待しているのだ。
 これはただの決闘ではない。
 姫神対姫神のこれまで観たことのない凄惨な決闘なのだ。

「ほんとに、戦うの?」

 アユミが同じように正面に立ったサチに問いかけた。
 サチはアユミからすれば懐かしくさえ思う、日本の女子校生が着る一般的な制服姿のままそこにいた。
 しかしその手には深い蒼色をたたえた長い槍を持ち、その目はおよそ一般的な女子校生のような輝きを失っていた。
 無理もないとアユミは思った。
 この場所は、アユミがこの世界で知るいかなる場所よりも暗く野蛮で無秩序に思われた。
 もし自分が最初にこの地に降り立っていたとしたら、考えるだけで恐ろしかった。

「ねえ、あたしたち、この世界に来たくて来たわけじゃないでしょう? 化け物みたいな力まで持たされて、それでしかも殺し合えだなんて」
「そんなことは関係ない。ユカとメグは私の大事な友達なんだ。絶対に守ると決めてる」
「えっ」

 サチの発言の意味を理解できぬうちにサチは決闘の狼煙を上げた。

「いくぞ! 転身姫神! 九頭竜婦クトゥルー・フラウ

 サチの持つ神器の槍スター・オーシャンが輝いた。
 同時にサチの体も輝きだす。
 足元から水柱が立ち、周囲にキラキラと光る水滴を滴らせて、姫神藍姫がそこに立っていた。
 その姿はうら若き戦乙女のよう。
 青い輝石の輝くサークレット、肩から胸、腰のラインを強調する青い鎧、深海の砂を思わせる真っ白い腰巻に、足首から太ももまでを、幾本もの海蛇がまとわりついたかのような青いベルト。
 そして手には長大な青い神器、星の海と呼ぶ槍、スター・オーシャン。

「……」
「転身しないの?」

 立ち尽くすアユミにサチが問いかける。
 アユミは返事もできずに固まっている。

「そう」

 ならばと構わずサチから仕掛けた。

「テンタクルスッ」

 サチの右肩から突如ヌメヌメとした太い触手が生え、それは猛烈な勢いで一直線にアユミに向かってきた。
 慌てたアユミは右へステップしてその触手を避ける。

「んぐっ」

 サチが歯を食いしばって右肩をひねると、触手がアユミを追うように直角に曲がり追撃してきた。
 もう一度、今度は左にかわすと触手はそのまま壁に激突した。
 大理石の壁は崩れ落ち、触手は壁に大きな亀裂と深い穴を穿った。

「んしょ」

 サチは右腕に触手を絡めると力いっぱいに引っぱる。
 ボコッ、と壁から触手が引き抜かれると、のたうつ先っぽが再びアユミに向かい飛んできた。

ボムッ!」

 アユミが突き出した手のひらから火球が飛び出す。
 触手と火球が衝突すると爆発音と黒煙が舞い上がった。

「あち」

 今度はサチが慌てて先っちょの焦げた触手を引っ込める。

「転身しなくても火を扱えるんだ」

 感心するサチに同意するように、ティターニアも頷く。

「なかなかの戦闘経験を積んでおるようですわね、紅姫は」
「だったら!」

 サチは武器を構えるとアユミに突進してきた。

「ッ!」

 突きと薙ぎを織り交ぜた連続攻撃を必死にかいくぐる。
 だが避けるだけで精一杯で、反撃などしている暇はない。
 転身したサチが振るう槍は生身の身体には一撃だけで致命傷となる。

「火を使う隙など与えない!」

 間断なく襲い来る執拗な攻撃に恐怖と緊張が限界に達した時、アユミは疲弊し一瞬の隙が生じた。

「獲った!」

 蒼い刃がアユミに向かい振り下ろされた。

 ギィンッ!

「ッ!」

 透き通った青い刃は、同じく透き通った赤い刃によって防がれていた。
 アユミの手の中に赤く透き通った深紅の一撃と呼ぶ鋭い斧、クリムゾン・スマッシュが握られていた。
 この宮殿に連行された際、没収されていた荷物の中にあったアユミの神器だ。
 持ち主の窮地に自動で駆け付けたのだろう。
 見ると先程サチが穿った壁に向こう側が見えるほどの穴が開いている。
 縁は少し焦げ臭く、斧はここから飛び込んできたのは間違いない。

「ヤァッ!」

 気合を込めて槍ごとサチを振り払う。

「神器だァ」
「姫神の武器かッ」
「紅姫の斧!」

 周囲が一斉に沸き立った。
 ようやく紅姫の真価をお目にできると期待しているのだ。

「転身しろォ!」
「戦え紅姫ェ!」
「転身ッ! 転身ッ!」

 客席にいる者たちは大半が戦闘怪人である。
 血と戦いに酔いしれる狂った者たちが声を張り上げアユミを煽る。
 その怒号が割れんばかりに木霊する中、サチはアユミを見つめ、アユミは助けを乞うかのように周囲を見回す。
 だが悲しいことに、今この場にアユミのことを心から慮ってくれるものはいない。
 旅の同行者であるト=モと目が合ったが、彼女は何も言わずただじっと見つめてくるばかりだ。
 その目が何を思っているのか、アユミには何もわからなかった。

「アマン……タイラン……」

 思わずアユミは目を閉じて、今会いたいと願う二人の名を口にした。
 そして赤い斧を握りしめる。

 次に目を開いたとき、その目は先程までとは違っていた。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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