【第190話】闇医者

 かび臭く、薄暗い部屋であった。
 壊れた家具や調度品の散乱する狭い部屋でもあった。
 床板も天井も雨露で腐敗し、所々危険な空洞を生み出してもいた。
 その中で唯一、埃もクモの巣もとり払われた粗末な寝台の上で、レッキスは喘いでいた。
 意識はないようだが、先程から断続的に苦し気な吐息を漏らしている。
 そばに立つ白衣の男がレッキスの血濡れた拳法着を脱がし、これまた赤く染まったクルペオの符を剥がす。
 引き締まった白い下腹部に穿たれた傷口を診察する。

「どうなんだ? 治るよな? オレの仲間なんだ! 頼むぜ先生! もしも治らなかったらテメェ」
「少し落ち着け猿人族ショウジョウ

 懇願から恫喝へと変わるシャマンに臆せず、白衣の男は診察を続ける。

「しかし驚いたな。昨日の今日でもう連絡を寄越してくるとは」

 少し離れた壁際にもひとり、ニンゲンが立っていた。
 昨日酒場でシャマンとメインクーンの話を聞いてくれた、盗賊ギルドの幹部ネズミと呼ばれる男だった。

「しかも剣聖グランド・ケイマンに襲われてまだ命があるとは。やはりなかなかに腕が立つんだな」
「感謝してるにゃ。私らこの街じゃ他にツテがないからさ」

 隣に立つメインクーンの謝辞にニヤリとしながらネズミが白衣の男を指し示す。

「ダンテは闇医者だが腕は確かだ。うちのギルド連中もよく世話になっている」
「ドクターだ。私のことはドクターダンテと呼べ。しかし厄介な患者を連れてきてくれたものだな」

 汗でへばりついた額の黒髪を一度かき上げつつ、ドクターダンテがぼやく。

「この者たちだろ? 昨夜、王室公安部から街中の診療所に手配書が配られたのは」
「手配書? それじゃオレたち、この国では立派なお尋ね者ってわけかよ」
「そういうことだな。剣聖が殺しにやって来たんだ。容疑は国家転覆あたりか?」
「冗談じゃねえぞッ! これもあれか? 〈パンドゥラの箱〉絡みか? 知らねえッてんだ」

 激昂するシャマンにネズミが肩をすくめてみせる。

「ま、この場所は表の人間には知られてねえし、ダンテも口は堅いから安心しな」
「ケッ、ありがとよ」

 シャマンはドカッ、と大きな音を立てながら木製の椅子に腰掛けた。
 腕組みをしたままレッキスの診察を見ていると、隣に座るウィペットが口を開いた。

「これからどうするのだ? この国を出ていくのが得策だと思うのだが」

 彼は命に別状はなかったが、いささか疲弊し顔色も悪い。
 首には血のにじむ包帯が巻かれている。

「逃げるってえのか? オレたちは何もしてねぞ」
「何かに利用はされたのだろうがな」
「うぐッ」

 疲れた声でそう言ったクルペオにシャマンは声を詰まらせた。

「逃げたくねえならよ、身の潔白を証明するしかねえやな」
「どうやって?」

 ネズミの発言にメインクーンが聞き返す。

「本物の〈箱〉を見つけてよ、国王に献上すりゃ喜ばれんじゃねえか?」
「ッ!」

 闇医者を除く全員がネズミに注目する。

「それはそうかもしれないけど……」
「おとぎ話の類なのだろう? 当てもなく見つかるものか」
「そもそも我ら、この国に不案内じゃしのう」

 メインクーンとウィペット、クルペオの沈んだ声を受け、シャマンがネズミを睨む。

「なにか当てがあるのかよ」
「昨日あんたらの話を聞いてひとつ気になったのがケンタウロス族の出現のくだりだ」
「ああ、そんなこと言ってたな、たしか」
「奴らだけは〈箱〉の所持を疑問視しながらも、あんたらを襲ったように感じた。何故だ?」
「何故って…………なぁ」

 答えに詰まるシャマンが隣を見るとウィペットが代わりに答えた。

「おそらく、本物の箱の在りかを彼らは知っているから……ではないか?」
「その通りだ」

 ネズミがニヤリとするとウィペットも頷く。

「オレも違和感を感じていたのだ。奴らの出現がポイントかのように、ファントムの部下が現れ依頼の終了を告げていった」
「確かに。本来なら依頼はローズマーキーの街までの移送であったはず」

 ウィペットの考えにクルペオも同調する。

「それを裏付けそうな情報があるんだ」
「なんにゃ?」
「数日前に蒼狼渓谷ウルブスバレーで王家の人形騎士隊とケンタウロス族との間で戦闘があったらしい。お前たちの依頼が終了した後のことだ」
「なんで?」
「理由はわからん。だがその戦闘でケンタウロス族は敗れ、処刑されたとか」
「あいつが?」

 シャマンは刃を交わしたケンタウロス族のリーダー、ベルジャンの強さを思い出していた。

「そうか……」
「でもさ、てことはさ」

 メインクーンが話を進める。

「王家も〈箱〉を欲しがってるってことだよね。そしてケンタウロス族が隠してるって考えたんだよね」
「そうかもしれねえ。だが王家が箱を手に入れたという情報は入ってねえ。まだ見つかってねえってことだ」
「ならオレたちが先に手に入れれば」
「どうする? 献上するのか?」
「手に入れてどうするかは、その時考えればいいさ」

 ようやっとシャマンの口元にニヤリと笑みが広がった。

「終わったぞ」

 そのときレッキスの治療を終えたダンテが会話を打ち切るように声を出した。

「命は繋いだ。あとはこの兎耳族バニーの活力次第。だがしばらくは絶対安静だ」

 相変わらず意識は失ったままだが、先程までと違いレッキスは穏やかな寝息を立てている。

「おおっ」
「ありがとう先生」
「礼など不要だ。金を置いて早いとこ出て行ってくれ」
「あ、ああ。いくらだ」
「百万だ」
「ひゃ、百万だって!」
「命を拾う金だ。安いものだろう」
「ぐ……」

 残念ながらシャマンたちはその二割も持ち合わせてはいなかった。

「私は闇医者だ。治療に愛情など持ち込まない。金がないなら今すぐ工面してくるんだな」
「いいぜ。ギルドが肩代わりしてやるよ」
「え?」

 ネズミの突然の助け舟に一行は意表を突かれた。

「本当か?」
「ああ。だがもちろん、交換条件がある」

 ネズミはメインクーンを見ながらその条件を切り出した。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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