マユミを固めたクリスタルが砕け散っていた。
ゆっくりと、うつむいた顔を上げたマユミの瞳が嫉妬の炎に燃えていた。
「その女は……私がもらったの……」
「な、何を言って……ッ」
マユミがナナに飛び掛かった。
予備動作もなく、獲物に食いつく蛇のように急襲した。
「危ないッ」
ハナイを突き飛ばしたナナの腕をマユミが掴むと、共にもつれ合いながら高い部屋の開いた壁から地面まで落下した。
「ガァッ!」
腕と首を掴まれたナナは下になり、マユミによって思いっきり地面に叩き付けられた。
「がはッ……」
背中と喉に強い衝撃を受け一瞬息が詰まる。
直後に吐血した。
ナナの吐き出した赤い血がマユミの黒いマスクをよりドス黒く染める。
それでもマユミは手を緩めない。
右手だけでなく左手も使い、地面に横たわるナナに馬乗りになって首を絞めた。
付着していたクリスタルは欠片もなかった。
「ぐ、が……」
強烈な締め付けにナナの顔からは血の気が引いていく。
それを見てマユミの目がどんどんと恍惚とした表情を増していった。
(な、なんなんだ、こいつ……)
マユミの得体の知れなさに動揺しつつ、ナナも反撃を試みる。
銀色のスーツが変形し始めた。
「わ、私に、取っ組み合いを仕掛けるとは……愚かだ!」
ボンッ!
ナナの体が一瞬にして風船みたく膨らんだ。
首から指を引きはがされたマユミは弾かれるように空中へと飛び上がった。
「げほっ、ごほ」
体形を戻し、むせかえりながらもナナは剣を突き立てて態勢を整える。
口元の鮮血をこぶしで拭いながらマユミの行方を追う。
マユミは上空でこちらを見下ろしていた。
腰から生えた蝙蝠のような羽をはばたかせ、ゆっくりと、今ハナイの居る外壁の破壊された部屋のそばでエントの残骸の上に降り立った。
「甘いのう銀姫。今のは甘い」
そう苦言を呈したのは、傍から戦況を見つめていたエルフの女王だ。
「なにがだ」
「千変万化する銀姫のそのスーツ、なぜ桃姫を弾く選択をした? 串刺しにすれば終わっていたろうに」
いつも人を小馬鹿にするような笑みをたたえる女王らしくない、軽蔑を込めた真剣な面持ちである。
「桃姫は同じ姫神じゃ。相手に同情しておってはキサマが痛い目を見るぞ」
「う、うるさい! 私をこんな、野蛮な世界の住人と一緒にするなッ」
「ほう、あははは! この世界の住人ならば歯牙にもかけぬが、同郷の異邦人には憐憫を覚えるというのか。まっこと正直な娘じゃ」
「そ、そうじゃないッ! そんな意味ではッ」
高笑いする女王の元へ、一機のオートレントが着陸した。
エルフの操縦者の肩に手をかけて、女王は取り付けられた後部座席に飛び乗った。
「銀姫、その甘さは命取りになる」
緑色の球体が光るとオートレントの駆動音が鳴り響いた。
「痛い目を見るのは自身とは限らぬ。改めることだ」
「ま、待て! 逃げるな」
「目的は十分果たした。実に有意義であったぞ」
ふと、女王は考えあぐねた仕草を交えて最後に一言付け加えた。
「ライシカ殿に、よろしくな」
「待てェ」
ナナの制止を振り切り女王を乗せたオートレントは走り去った。
動揺と怒りをたたえた眼でその背を見送ったナナに頭上から警告の声が飛んだ。
「ナナッ!」
「はッ」
それはハナイの声だった。
咄嗟に身をかがめて大きく前転し回避行動をとる。
一瞬前までナナの居た場所を大蛇のような鞭の一振りが通り過ぎた。
ナナが躱したことで打ち据えられた地面が大きく裂けた。
肉を削ぎ、骨を断つどころではない。
喰らえ上半身と下半身の二つに分かれていただろう。
そのような恐ろしい攻撃を頭上から、マユミは連続して繰り出した。
彼女の鞭は五条に分かれた一本一本が個別に動き回る。
狙いなど付けず、滅多矢鱈と鞭を振り回した。
ナナは不規則に襲い来る複数の鞭をかわすので精いっぱいだ。
一本の鞭ならなんてことはない。
しかし五本の鞭が間断なく攻めてくるため休むことも反撃することもできなかった。
「やめるんだ桃姫ッ! 私はお前と争うつもりはないッ」
ナナの呼びかけにもマユミは応えない。
逆に鞭の攻撃は激しさを増すばかりだ。
「私の声が聞こえないのか! あなたも同じ、日本から突然この世界へと迷い込んだのであろう! 戦いなどすべきじゃない」
「あああああああああああああああああああああああああああ」
マユミが耳をふさぎながら叫び声をあげた。
聞く耳を持つまいと鞭の勢いがいや増すばかりだ。
「くそッ、まさか暴走しているんじゃないのか」
業を煮やしたナナの内からも桃姫への闘争心が、そしてその先に殺意が覗き始めてきた。
「ナナッ!」
二人の姫神が放つ殺気に当てられ、ハナイの目に正気が戻りつつあった。
目の前で暴れるマユミの凶暴さとその裏側に不安が見えた。
同時にナナとマユミの攻防には、胸をざわつかせる何かがあった。
ナナの足裏がスプリングに変形した。
膝をたわめ、大きく跳躍する。
マユミの直上まで一気に跳びあがると、聖剣〈銀星号〉を大きく振りかぶった。
「もう容赦しない」
一瞬ナナの脳裏に女王の言葉がよみがえる。
『甘さは命取りになる』
「斬るッ!」
「ナナッッッ」
マユミだけを見て剣を振りぬいた。
手ごたえがあった。
間違いなく、斬った相手の肩口からへその辺りまで両断した。
相手の血が剣を握る指に滴り落ち、憐れな相手に顔を向けた。
「ッッッ」
ナナに衝撃が走った。
目の前で、苦悶の表情を浮かべているのは意図した相手ではなかった。
「ハナイ様ッ」
マユミとナナの間にハナイがいた。
ナナの剣を体に食い込ませたまま、ハナイの愛しい瞳がまっすぐナナを見つめていた。
ハナイがマユミを守り、マユミを斬ろうとしたナナを守っていた。
ハナイの背中越しに殺気を感じた。
マユミのお尻に生えた尻尾が鋭利な槍となってナナに狙いをつけた。
「槍の尾ッ」
鋭い尾の穂先がナナの顔面に迫る。
咄嗟に引き抜いたナナの剣がそれを弾いた。
途端、剣から大量の水が放出されてハナイに降り注がれた。
水晶凍結。
その水が猛烈な速度で結晶化していく。
「あ、あ、あああああああ」
神器ザ・シルバースターの能力クリスタル・フリーズ。
水は結晶化し相手を覆い包んでいく。
「だめだ、ハナイ様ァ」
尾の一撃を弾いたナナは反動で地上へと落下する。
落ちながら、大量の血を流すハナイの裸身が大きなクリスタルに包まれていくのを、ナナは時が止まったように長いこと見ていた気がした。