シオリは意識を周囲に巡らせた。
壁も床も天井も、ひび割れ、砕け、崩れていた。
武器も調度品も鎧もドレスも散乱していた。
血と涙と死が転がっていた。
多くの戦士たちの骸が重なる。
宮殿の最上階は崩壊し、降りしきる黒い雨が泣き叫ぶヒカリを打ち続ける。
傷だらけのヒカリの足元には、彼女を守るために盾となった戦士たちが倒れていた。
例外なく、みな絶命している。
ヒカリにとって一番大切に想うその青年もだった。
「ケイネス! ケイネス……」
ケイネスという名の死体にすがりつき、ヒカリは嗚咽していた。
(ヒカリさん! またヒカリさんの意識にいる。これは、千年前の戦いなんだ)
しかし、いつものようにシオリの意識にヒカリが反応してこない。
凄惨な光景にシオリはおののいた。
「グォギャアァアアァ!」
恐ろしい咆哮が轟き、装甲をまとう飛竜の翼が引き千切られる。
「アルザック!」
悲痛な悲鳴を上げながら、ヒカリはアルザックを屠った狂暴な獣を睨み付けた。
(あれが、魔神将ガトゥリン)
シオリはその姿に恐怖した。
そして今やたったひとりで対峙するヒカリの絶望をも感じとっていた。
ズシン、ズシン、と大きな地響きを鳴らしながら、巨大な獣の神が近付いてくる。
(ヒカリさん! ヒカリさん逃げて!)
無駄と知りつつシオリは叫んだ。
しかしヒカリは、白姫ヒカリはケイネスの死体にしがみつき動こうともしない。
「みんなが、ケイネスが……私のために」
(ヒカリさん!)
「グギャオォオウゥオオオオオオオオオオ」
獣神の咆哮、そして、
ドッシュ!
鮮血が飛び散った。
呆然とするヒカリのすぐ脇に、剛毛に覆われた太い獣の腕が落ちる。
(えっ)
「……」
二人が顔を上げると、そこに見たこともない大柄の偉丈夫が立っていた。
荒々しい髪に猛々しい肉体。
そして獣の血を吸った野蛮で巨大なナタを持っていた。
(誰?)
「あなたは」
ヒカリの問いかけに偉丈夫が振り返る。
「ズァ。〈力〉のズァだ。貴様らを救ってやろう」
黒目のない、濁った眼でそう答える。
「だが思い違いをするな。オレは〈力〉、常に敵対する者」
「敵?」
「ガトゥリンを倒し、この地に平和をくれてやる。その代わり、白姫よ。貴様にはマナを抽出する生け贄となってもらう」
(生け贄?)
「生け贄……」
返事は待たず、ズァという偉丈夫とガトゥリンという獣の神の死闘が始まった。
なす術のないヒカリには、すべきことがない。
ヒトとは思えない凄惨な死闘を遠い世界の出来事のように見ているだけだった。
戦いは終わり、ガトゥリンは力尽きた。
「白姫〈天照巫女〉。貴様の神器を使うがいい」
ヒカリは言われた通り、神器〈装甲竜騎兵〉を行使する。
飛竜アルザックの装甲が剥がれると、その装甲が移動してガトゥリンを覆い始める。
「禁縛甲」
装甲が固まり身動きの効かなくなったガトゥリンは、みるみるうちに小さく畳まれていき、そして青白く輝くパンドゥラの箱へと変化してしまった。
(箱になった! 封印されたの?)
ズァはその間、周辺を歩き回っていた。
そしてやおら戦士たちの死体の山に腕を突っ込むと、中から怯える男を引きずり出した。
「ひえ、お助けをぉ! 命だけは! 命だけはぁ」
「死んだ振りまでして生き延びようとは。なんとも浅ましい奴だが貴様は運がいい。名は?」
「ロ、ロック……ロック・ウォーレンス」
ロックと名乗る惨めな男の前に、ズァは切り落としたガトゥリンの腕を放る。
「ひぃッ」
さらにズァはヒカリからパンドゥラの箱を取り上げるとそれも投げ渡す。
「神を封じた箱だ。持つ者に幸運をもたらす。その腕と箱を手土産に英雄として凱旋し、王になれ。この地はお前の好きにして構わん。ただし……」
デカイ手で首を掴まれ男の目が恐怖に見開かれる。
「ここで見たこと、そして姫神について、一切の記録を残すことは許さん。わかったな」
コクコクと何度も首を縦に振る。
乱暴に解放されるともう男には見向きもせず、ズァはヒカリを抱き上げた。
「では行くぞ。貴様はもう、なにも考える必要はない」
(待って!)
シオリの意識も離れ始める。
「白姫よ、少しでも長く生きるのだ。そしてこの世界に奉仕しろ。ゴルゴダの地で」
シオリの意識が途絶える。
その最後の瞬間まで、ヒカリの視線は横たわる青年、ケイネスの死体から離れることはなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「目が覚めましたか、シオリさん」
気がつくとそこは風通しのよい部屋のベッドの上だった。
いつもと変わらぬ飄々としたアカメが、シオリの顔を覗き込んでいた。
「もう安心だろう」
見知らぬ長身の男もいる。
白衣を着ている。
医者だろうか。
「わかりますか、シオリさん。ここはハイランドの首都カレドニアです。そのスラム街にある診療所ですよ。闇ですが」
「やぶ?」
「や、み、です」
シオリの天然がダンテの耳に届いてやしないかとヒヤヒヤしながらアカメは急いで訂正した。
「診療所、なの?」
ようやく理解が追い付いてきたシオリが周りを見渡してみると、見事なまでに壁も天井もない青空の下。
「風が……気持ちいい」
「壁がないメリットもあるのだな」
ダンテがつまらなそうに答える。
「どうしました、シオリさん?」
「えっ」
「泣いておられるじゃありませんか。まだどこか苦しいのですか?」
言われてはじめて自分が涙を流していることに気付いた。
どこも痛くないし、どこも苦しくない。
「ただ……」
「ただ?」
シオリは微かに覚えている光景を思い出す。
映像はあいまいで、声も音もハッキリしない。
それでも、それはとても…………。
「とても、悲しい……夢だったから」






