刀が重い……。
群れを成して襲い来る血に飢えた野犬。
獰猛な唸り声は途切れることなく、疲労したタイランと昏睡しているシオリを襲う。
使い慣れたレイピアではなく、幾人もの血と命を無慈悲に吸ってきた刀はタイランには重過ぎた。
刀の銘は〈果心居士〉。
剣聖グランド・ケイマンの手にあった妖刀である。
それでも襲いくる野犬の群れを退けるには今はこの刀ひと振りに頼る以外ない。
背後に横たわるシオリを守れるのは自分しかいないのである。
そのシオリの容態も気になるところだが、襲撃が止む気配はまだない。
「血の匂いに集まっているか」
タイランが斬れば斬るほどに飢えた野犬が集まってしまう。
「翼さえ傷つかねば」
そっと右の肩を抑える。
深くはないがそこに裂傷があった。
シオリを抱えて飛ぶにはとても困難であった。
「チッ! キリがないぞ」
さすがに焦りを覚え始める。
そのとき突然、目の前に迫った野犬が鋭い矢の一撃で吹き飛んだ。
ドドドドッ! ドドドドゥッッッ!
続けざまに勢いのある矢の多重攻撃が野犬の群れを襲った。
破壊力はすさまじく、瞬く間に獣の大量の死体を量産する。
まるで一軍の一斉射撃のようだがそのような気配はない。
代わりに一台の馬車が近づいてきていた。
矢はその馬車に搭載された、いくつものクロスボウから連続して発射されていた。
射手の姿は見えない。
おそらく中から操作して射撃できるのだろう。
轍すらない平原を走ってくるその気配に、ようやく野犬の群れは撤退を開始した。
「馬車だと……それも一台のみ」
街道を少し離れた岩場である。
普通の馬車がおいそれと走れるような整備された道ではない。
タイランの立つそこへ馬車が到着した。
馬のいななきすらもない事に違和感を覚えたが、その答えはすぐにわかった。
「戦車、か」
タイランは唸った。
この馬車は普通ではない。
厚手の鋼鉄で馬車全体が覆われ、側面には大量のクロスボウが取り付けられている戦車だった。
そして馬。
当然のごとく普通の馬ではこの重量と悪路を引っ張ることなどできない。
繋がれた四頭の馬はパペットであった。
金属製の、まるで鎧を組み合わせたかのような馬が四頭。
ギイ、とそこだけは古ぼけた軋み音をあげながら扉が開き、中からひとりの犬狼族が出てきた。
「失礼します。誠に勝手ながら、大変お困りのようでしたので、我が主の命により助太刀させていただきました」
「あるじ……」
続いてニンゲンの貴婦人が降りてきた。
少しくたびれているようだが、まだ若く、相応の身分の者であることが身につけたドレスやその立ち居振舞いから伺えた。
何より鳥人族のタイランから見ても美しいと思えた。
「差し出がましいことをしましたでしょうか。お許しください」
「とんでもありません。おかげで助かりました」
タイランは刀を地面に突き立て手を離すと一礼する。
敵意はないという意味なのだが。
本来なら鞘に納めるところ、あいにく携帯していない。
「僭越ながら名乗らせていただきたい。私の名はタイラン。クァックジャード騎士団の騎士であります」
「まあ、クァックジャード! わたくし、お目にかかるのは初めてですのよ。ねえ、ブリアード」
「はい」
目を見張り驚く貴婦人に、ブリアードと呼ばれた初老の犬狼族が応える。
「クァックジャードの方なら信用できますわね。世界の調停を担う方々ですもの。その名を|騙《かた》ればただでは済まない」
「……いかにも」
(除籍されてなければだが、オレの知る限りではないしな)
命令違反と本国に報告されていればすでに資格は失われたかもしれない。
だが今のところ、タイランは素知らぬ顔で押し通すことにしている。
「私も名乗らせていただきます。ヒガ・エンジ、自由都市で宝石商を営んでおりましたのよ」
「エンジ商会! ではマラガ五商星のひとり」
「まあ。さすがはクァックジャード。世相に長けていらっしゃるのね」
「マラガは半年以上前に壊滅したと聞いています。あなたはご無事なようですが」
自由都市というよりも、盗賊都市と言った方が通りのいいマラガ。
そのマラガが一夜にして壊滅的被害を受けたという噂はタイランも耳にしている。
だが水仙郷からハイランドへ上陸した後も、ケンタウロス族の集落へと辺境を渡り歩いていたために詳しい事情までは知れずにいた。
「そうですわね。不幸中の幸いと申しましょうか……。あの街へ残っていたら、今頃はトカゲ族の無法に虐げられていたことでしょう」
「トカゲ族! もしや、アンデッドではありませんでしたか?」
「ええ。それは恐ろしい光景でしたわ。そしてあの巨大な火竜レッドドラゴン」
「ッ!」
思わぬ返答にタイランが目を剥く。
それはもしや……しかし、巨大という表現に疑問符が付く。
「ところで、後ろの少女はどうなさいました」
ブリアードの声にタイランは我に返る。
急いでシオリの手を取り無事を確かめた。
「私の連れなのですが、体調が思わしくなく」
「いけない。かなりの高熱です。ヒガ様」
「ええ。馬車にお乗りになって、騎士様。私どもとしても旅が心強くなりますわ」
抱き上げたシオリを馬車に連れ込もうと扉をくぐる。
貨物用の荷馬車よりもさらに広々とした車内。
そこに十人程度の少女たちがうずくまっていた。
「これは!」
「驚いたでしょう。彼女たちを国に送り届けるのが、今の私の使命ですのよ」
「この娘たちは?」
「エスメラルダから奴隷商人によりさらわれてきた者たちです。当初は倍の二十人ほどいたのですが」
旅の過酷さや誘拐されてきた心的障害がたたり、ひとり、またひとりと病に倒れ亡くなったらしい。
「なんという、むごい事を」
「さあ、その方をここに寝かせてあげなさい。シーナ、そこの毛布を掛けてあげて」
「はい、ヒガ様」
そばにいた少女がシオリの看病を手伝ってくれる。
「タイラン様。あなたも傷を負っているようです。どうか手当を」
「かたじけない」
「ブリアード。ここにいてはまた野犬の群れに襲われるかもしれません。出発しましょう」
御者台ではなく、車内前方に操縦席があり、ブリアードがそこに着席する。
ほどなくして馬車が動き出した。
「変わった馬車でしょう? ハイランドではこのように人の手を必要としないものが増えているそうです」
「それは……」
「ご存じかしら? 姫神という存在を」
「ッ!」
またしても驚かされた。
「この国では今、桃姫と呼ばれる姫神がいるそうです。その者の力に寄るのですってね」
「そのようですね」
「私は姫神という存在に縁があるようです。この少女たちを救ってみせたのも姫神でしたのよ」
「え?」
「紅姫。そう呼ばれていました。名は……」
「アユミだ」
今度はヒガが驚いた。
「ご存じでしたの?」
タイランは静かに、その目を閉じ安堵した。






