妖精女王ティターニアと名乗る貴婦人と同じ輿に乗せてもらい、サチ、ユカ、メグミの三人は異形の者共の本拠地である支配の宮殿ヴァルテン・パラストへとやってきた。
「うわぁ、すっごい! 断崖に大きな宮殿が建ってるよ」
「あれ、崖を削って造ったのかしら? それとも窪みに石材を持ってきて組んだのかしら」
メグミの感嘆とユカの分析を聞きながら女王は優しく微笑んだ。
「さあさあ、疲れたであろう? まずは湯浴みなどしてくつろぐといい。着替えに食事の用意もいたそう」
「わぁ」
「ありがとうございます」
メグミが喜びユカがお礼を述べる。
そんななか、サチだけは先程からずっとおとなしかった。
その様子に女王がいたわるように声を掛ける。
「サチさん、でしたか。どうかなさいまして?」
「あ、いや……」
口ごもるサチに女王は優しく微笑みを返す。
「ここがそなたたちの世界ではないと知り、不安なのでしょう。何か気になることがあるならば、遠慮せず申しておくれ」
サチは困ったような顔をしていた。
確かに不安はぬぐえないままだ。
しかしだからと言って今何を質問すればいいのか、頭は全然働いてくれない。
でも何か言った方がいいかと思い、口を突いて出たのはひとつ気になっていたことだった。
「え、と……女王様は、その、日本語がお上手ですね。どこで覚えたのですか」
もっと率直に聞きたいことはあったのだが、なぜ自分たちがこの世界にいるのかとか、日本にはどうやって帰れるのかとか。
だがそういった核心に迫ることを聞くのはまだ怖かった。
そこでつい会話の妙について聞いてしまったのだ。
なんせ日本語が話せるのはこの妖精女王ティターニア以外にいないのだ。
「ほほ。学んだのじゃ。この本での」
そう言って女王は一冊の教科書を取り出してみせた。
「あ、それって、あたしの。世界史の教科書」
「この本を見て文字と文章の配列を解析したのじゃ」
「え?」
「さらにそなたたちは気づかなかったようじゃが、昨晩からそなたたちを監視していたものがおってな」
そう言うと女王の指先に一匹のトンボが舞い降りた。
「このトンボを通じて、そなたたちの会話を聞き取り、発音も学んだというわけじゃ」
そんなことが可能なのか?
サチたちには信じられなかった。
それは科学ではなく魔術の類にしか思えなかったからだ。
が、ただ一点、気になったことがある。
「えー! じゃあ昨日の私たちの入浴シーン、ばっちり見られちゃったってことですか?」
メグミが顔を真っ赤にして驚く。
「済まぬ。が、この小さなトンボの複眼によるものじゃ。そう鮮明に見えたわけではないので許してたもれ」
「……は、はい」
三人とも気恥ずかしくはあったが、これ以上騒いでも居心地を悪くするだけだと思い、それ以上は言わないでおいた。
宮殿に入城した後、三人は思いっきりくつろぐことができた。
最初に案内された大浴場は壮麗で、宮殿内の他と同様青い大理石でできていた。
広い浴槽に張られた温めのお湯につかっているととても気持ちがよかった。
ただひとつ三人を困惑させたのが、入浴の世話係として各人につき二人ものメイドが付き添ったことである。
当然断ろうと思ったのだが、残念なことに女王以外に日本語が通じる相手がおらず、結局されるがままに入浴し、その後は用意されたドレスを着せてもらい、女王が待つ食卓にまで案内された。
広めの部屋にテーブルが用意され、その上に豪華な食事やフルーツが山盛りに用意されていた。
上座に着いた女王が三人の姿を認めると席を立って迎えてくれた。
「これはこれは、三人とも見目麗しいのう」
三人が着せられた色とりどりのドレスはどれも絢爛で美しかった。
背中や胸元が大胆に露出しており、歩くたびにスカートの裾は蝶々のように翻る。
青いドレスのサチは気恥ずかしさから胸元を両手で多い、黄色いドレスをまとったメグミは歩くたびに踵の高いヒールで足をぐねらせた。
緑色のドレスをまとったユカは必要以上に見られまいとそそくさと席に着いてしまった。
「ふふ。恥じ入ることはない。皆とても綺麗じゃ。堂々としておくれ」
三人とも顔を赤らめながらも着席すると、食事をしながら女王からこの世界についての事情説明が始まった。
「ここはそなたたちのいた世界とは違う世界じゃ。日本という国もない」
なんとなく覚悟はしていたが、はっきりとそう明言されると気持ちが沈んでしまう。
「別次元、並行世界、はたまた遠い銀河の果て? それは今はわからぬが、この世界は亜人世界であり、日本ではない」
「銀河……宇宙に関する知識もお持ちなのですか」
「ふふ、そなたたちの言う教科書とやらに書いてあったぞ」
「ああ……」
ユカはバカな質問をしたと自分を恥じた。
「まあ、ここがそなたたちからして異世界であるという事は確かなのじゃ。では何故そなたたちがこの亜人世界に呼び寄せられたのか」
三人の視線が女王に集まる。
まさかこの世界に迷い込んでしまったことにそれなりの理由があるなんて、今の今まですっかり考えてもいなかった。
「それは、そなたたちのうちのひとりが、この世界の救世主たる選ばれし姫神、であるからに他ならない」
「救世主?」
「選ばれし、ひめがみ?」
「私たちのうち、ひとりが……」
三者三様の反応ではあるが、異世界を受け入れる以上、救世主や選ばれし者と謳われる程度は想像できなくもない。
多少怖い思いもしたが、事情が分かってくると俄然今の状況に興味が湧いてきた。
真っ先にユカが質問を繰り出す。
「その、姫神というのはなんですか」
「数百年に一度、この世界に顕現する乙女のことじゃ。決まって異世界より現れ、この世界をより良い世界へと造り替えてくださる」
「すごぉい。おとぎ話みたい」
「そういう事例が過去に記録されているのですか」
女王はこくりと頷く。
「一般には知られることはないが、ある者が創世の頃より記録し続けているという」
「ある者?」
「偉大なる年代史家エンメというそうじゃ。おそらく今も姫神に関する事象を書き連ねていることだろう」
「今も……」
「ほんとにファンタジーな世界なんだねぇ」
ユカの思案とは別にメグミは無邪気に聞き入っていた。
まるで自分がゲームやアニメの主人公になった気分で楽しくなってきたのだ。
「だがそう楽しい話ばかりではないのじゃ」
妖精女王は少し声を低めて言った。
「わらわが守るこのアーカムの地は不毛な荒野でのう。民は貧しい暮らしを余儀なくされておる」
その女王のセリフを聞くなり壁際に控えたメイド連中がすすり泣きを始めた。
三人はびっくりして周囲を見回すが、続けて女王はさめざめと声を絞り出し窮状を訴え始めた。
「作物や交易といったものがまるでない、生きていくだけで過酷な地域なのじゃ。それだけではない。北方のエスメラルダ、西方の盗賊都市、そして東方の獣人五氏族。我らは常に生存権を脅かされておるのじゃ」
突然の訴えに三人は固まってしまった。
この世界のことはまだよくわからないが、どうやらそう平和な世界ではないらしい。
そこに救世主として自分たちが遣わされたというのか。
「要するに、助けがいるという事ですか。私たちのうち、ひとりがその」
「姫神じゃ。姫神は新世界への道標。きっと我らを救いたもう」
三人とも現代日本人としての教育を受けている。
そしてどうしようもなく利己的な人間などでなく、人並みに慈善、博愛の精神も持ち合わせている。
だがそうは言われても、である。
「私たちにできることがあるのなら、お助けしたいと思います。だけど」
「うん。姫神って言われても、あたしたちにその自覚もないし、正直、人まちがいじゃないかと」
ユカとサチが申し訳なさげにつぶやく。
「いえ、そなたたちのうちひとりは間違いなく姫神。まだ覚醒していないだけのことです。しばらくこの宮殿にご滞在なさって。その自覚が芽生えるのを、我らはゆっくりと待たせていただきます」
「で、でも」
「そしてその間に元の世界、日本に帰る儀式の準備を整えましょう。ただそれには時間が必要なのです」
「え?」
「ほんとですか!」
こうして三人はこの支配の宮殿ヴァルテン・パラストに滞在することとなった。
日本に帰れる。
とはいえ女王の言う通り、自分たちのうち誰かひとりが姫神なのだとしたら、その者はこの世界に取り残されることになるのではないか。
得も言われぬ不安を抱えたまま、ユカは密かに心にある決心を固めていた。






