【第109話】根回し

 自由都市マラガを取り仕切る五人の大商人、いわゆる五商星の紅一点、ヒガ・エンジの屋敷が燃えていた。
 強風逆巻く闇夜の中で、街を望む高台の一角に赤々と炎の山が見えた。
 それは街のどこからでも望むことができ、誰しもが火元に見当をつけることができた。

「たすけてぇ!」

 その屋敷の中は悲鳴と怒号が入り混じり、ドタドタと駆け回る足音や、剣と剣の響き合う音がこだましている。
 屋敷の使用人たちが我先にと外へ飛び出し逃げ道を探していた。
 多くは周囲を囲む石壁をよじ登り、隣の屋敷へと落ち延びようとする。
 しかしその壁の向こう側からは非情にも、長い棒などで逃走を阻害され、あるいは乱暴に叩き落とされもして、みなあえなく元の庭先へと追い落とされていた。

「な、なんだよッ! お願いだ、逃がせてくれよ」
「そんな! 隣の奴ら、オレたちを見殺しにする気なのか」

 真偽を問いただす暇など、彼らにはなかった。
 屋敷中で暴れまわるオークたちに見つかると、抵抗もむなしく彼らは瞬く間に八つ裂きにされてしまうのだった。
 男ならひとりも残らず斬り刻まれ、女なら慰み物にされる。
 絶望に満ちた断末魔の悲鳴が強風と共に響いた。
 その悲鳴、絶叫、怨嗟の声を、壁越しに隣家の者たちが聞いていた。
 逃げ惑う彼らを迎えてやることもなく、棒でもって叩き落とした者たちである。
 知らぬ者同士ではない。
 常から顔を合わせれば穏やかに日常を共にした間柄でもある。
 それでも彼らを受け入れることはできなかった。
 上流街に居を構えるからにはすべからく権力を有する者である。
 しかしこの街で盗賊ギルドに目をつけられ無事で済む道理はない。
 ご丁寧にもギルドは先刻、わざわざ脅しにやってきたのだ。
 故に、手助けをすることはできない。

「すまないな、ヒガ殿」

 苦悩を顔に見せつつも、彼は一刻も早くこの殺戮が終わるのを願う以外なかった。

 同じことはこの一角だけではない。
 ヒガ・エンジの屋敷と隣接する屋敷の者たちはみな一様に静観を決め込んでいた。
 助けを求めてる者がいても無視するか、前出のように追い返すばかりである。
 そのたびに荒れ狂うオークどもの餌食となる使用人たちの悲鳴に耳を塞ぐきりだった。

 そうしていや増す屍の数々にアユミは胸を痛めた。
 屋敷の入り口に差し掛かった所で倒れたメイドへ執拗に手斧を振りおろしているオークがいた。
 麻薬バニッシュを打たれた正気でないオークは前後もわからずに何度も何度も斧を振る。
 メイドはとうに絶命していた。
 その遺体を細切れにする勢いで幾度も幾度も斧の刃を食い込ませている。

「やめろォッ」

 アユミの掌に出現した炎の球がオークを直撃し爆散させた。
 下半身だけとなったオークがその場に崩れ落ちる。
 その爆音に屋敷の中から狂乱したオークどもが次々と現れた。

「グォッ、グォッ、グォォッ」

 アユミを見て、哀れな供物がまだいたか、とオークは狂喜乱舞して襲い掛かってきた。
 だが供物となったのはオークどもの方であった。

「おまえらァッッッ」

 両手からいくつも連続して炎の球体を出すと群がったオークどもに投げつけた。
 爆裂する炎の球に醜いオークどもは残らず駆逐されていった。

「ハァハァ」

 息が上がったがアユミはメイドの遺体を確認して悲しみに喘いだ。
 この屋敷に滞在してしばらくたつが、このメイドとは何度となく言葉を交わしていた。
 とても素朴で引っ込み思案なタイプだが、素直で優しく、よく異世界人であるアユミを気遣ってくれていた。
 実は屋敷の庭師を務める青年を好いていると、顔を真っ赤にして話す彼女はとても魅力的で輝いていた事を思い出す。
 その庭師の遺体は少し離れた屋敷の窓下に広がる花壇で見たばかりであった。

「誰か、まだ無事な人はいないの?」

 周囲を確認し、アユミは屋敷のエントランスから奥へ続く廊下へ向かった。
 その先はアユミとアマンが今まで助けた、エスメラルダからさらわれてきた娘たちのいる部屋がある。
 屋敷の中までだいぶ火の手が回っていた。
 オークどもが火をつけて回っているのだ。
 煙を吸い込まないよう注意しながら走るアユミに目指す部屋が見えてきた。

 ドガァッ!

 目の前で中から扉ごと吹き飛ばされたオークが壁に当たってくずおれた。

「なにやってんのよ! そんな老いぼれにいつまでも手こずるんじゃないよッ」

 続けて女のひどい金切り声が聞こえた。

「あれは、ネダの声だ」

 アユミが部屋に飛び込むと、すぐに状況が理解できた。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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