
突如として部屋の壁が破壊され、もうもうと塵や埃が舞い、外の光がなだれ込んできた。
「貴様はッ」
スガーラが目にしたのは壁を破壊した大樹でできた巨人兵器エントと、その手のひらに立つエルフの女王ト=モの姿、そしてその横で揺れる檻だった。
マユミも外の光景を目撃し衝撃を受けていた。
自分がいたのは高さ十五メートルほどの位置にある部屋だった。
その高さに巨人の頭がある。
全身が木でできた巨人が目の前で動いているのだ。
一体ここはなんなのだろうか……。
マユミの胸中がざわつく。
「ん? ネズミが一匹侵入しておるではないか。銀姫め、猪突猛進なだけのうつけではなかったか」
「ナナ様への侮辱は許しませんッ」
「豪気じゃな。わらわにもそなたのような部下がおればな」
女王はククク、と口許に手を当てながら蔑むように笑った。
エルフの女王は他人を煽るのを楽しむきらいがある。
スガーラの瞳が怒りに燃えあがった。
「どうじゃ? つまらぬ銀姫を見限って、わらわにつかぬか?」
「ふざけるなッ」
「アハハハッ。こやつ、銀姫と同じリアクションをしおって! 可愛い奴らじゃ」
「愚弄するかッ! 今この場で貴様を討ち取ってくれる」
剣を抜き、破壊された壁から女王に飛び掛かった。
そこでスガーラの視界に檻の中の光景が飛び込んできた。
目を疑った。
「そんなッ! ハナイ様ァ」
あの慎ましく、慈愛に満ちた聖女を見舞う衝撃の光景に、一瞬思考が停止し、体が硬直した。
そのスガーラに放たれた女王の精霊魔術サラマンドラの火弾が直撃する。
「きゃあッ」
マユミの足元にまで吹っ飛ばされたスガーラは、直撃した胸の激痛に呻いた。
身に着けた胸甲部分がブスブスと焦げ臭い煙を上げている。
だがマユミは苦痛に呻くスガーラではなく、彼女同様に檻の中を見て言葉を失っていた。
気色の悪い大きなイモムシが、無数の触手を蠢かしていた。
妖しい粘液をしたたらせた触手が這いずりまわっている。
ハナイはその檻の中で、脱力し、呆けていた。
スガーラは衝撃を受けたが、マユミは違った感情を抱いていた。
本人は自覚していなかったが、それは言葉にするなら羨望であろうか。
それが一番似つかわしい言葉だった。
マユミはその光景から目を離せず釘付けになっていた。
恐怖や嫌悪はもちろんあったが得も言われぬ高揚感も否定できずにいた。
そのマユミに女王は興味を惹かれた。
「ふふ、やはり桃姫よのう。なんと蕩けた顔をするか。これはすぐにも覚醒できそうじゃな」
エントの手が破壊された部屋へと伸ばされ、女王はマユミの元へと歩み寄った。
檻から目を離させ顎に手をかけて顔を上向かせる。
お互いの息がかかるほど顔を近づけて瞳を覗き込む。
マユミは潤んだ瞳を揺らしながら、目の前のエルフの女王を見つめ、そして目をそらした。
「どうした?」
女王が面白そうに問うた。
「わたし……」
マユミは言葉を発せず、ただ両手の指を所在無げにピクピクと動かすだけだ。
「ふふ、そなたもあの檻に入りたいのであろう」
「ッ!」
心中を読まれた思いで、途端にマユミの顔が真っ赤になった。
「どれ……」
女王がおもむろに、マユミの左耳に触れた。
エルフの白く華奢な指先が耳に触れた途端、マユミは全身が内側から爆発でもしたかのような衝撃を受けた。
思わず体を固くし、身をすぼめる。
構わず女王は耳をいじり、反対側の耳に顔を寄せてそっと噛んでやる。
「ん」
身をこわばらせたマユミの口から吐息が漏れる。
「愛いのお。だが、あの檻はやめておけ。キャリーにかかればニンゲンなぞ、あっという間に廃人じゃ。そう仕込んである」
檻の中で聖女が脱力しきっていた。
すでにその瞳には生気がない。
なおも羨ましげに見つめるマユミの頬に手を添えて、女王は懐からあるものを取り出した。
「代わりにそなたにはこれをやろう」
マユミの顔にそれをあてがいながら、そっと口づけをしてやる。
熱に浮かされたかのように、とろんとした瞳でマユミはそれを受け入れた。
女王の顔が離れたとき、マユミの顔の上半分、目元から鼻筋にかけて、まるで羽を広げた蝙蝠を模したような、黒い革のベネチアンマスクが嵌められていた。
「これも返しておこう」
マユミが森で目覚めた時に持っていた、あの鞭だった。
「それとな、この檻の中の女、昨日までは聖女だったのだが」
クク、と笑いを噛み殺しながら続ける。
「これもそなたにくれてやろう」
マユミが改めてハナイを見る。
「好きにしていいぞ。どうじゃ、嬉しかろう?」
マユミの表情はマスクで口許しか見えないが、笑みで崩れている。
いやらしく舌なめずりまでして。
「ホホホホ! そうであろう、そうであろう。だが気を付けい。その女を狙う輩がそろそろ駆けつける」
ガズッッッン
突然、エントが地響きを立てて崩れ落ちた。
頭部が強烈な打撃を受けており態勢が大きく傾いだ。
「ほれ、来たぞ」
女王が鞭を持つマユミの手を上から強く握った。
「ハナイ様ァ」
猛スピードでナナが倒れた巨人の体を駆け上ってくる。
「女王! 覚悟ォ」
エルフの女王に向けて両手で持ったクリスタルの剣を振り下ろした。
「目覚めよ桃姫! そなたの名は〈淫魔艶女〉」
ゴウッ、と強い衝撃に叩きつけられ、ナナは部屋の外まで押し戻された。
「な、なんだ……」
女王の背中越しに人影が立ち上がった。
目元を覆う黒いマスクに、露出の多くきわどい黒革の衣装。
肌は白く、髪は気が狂いそうなほどのピンク色で腰までなびかせている。
その腰の辺りに蝙蝠のような繊細で禍々しい羽を広げ、長い鞭のような尻尾がこねくり回されていた。
さらに手にも鞭を持つ。
五本に分かれたバラ鞭で、一本一本が蛇のように蠢いていた。
「まさか、姫神、なのか……」
頬に一筋の汗を流し、ナナは正面に立ったマユミを見た。
マユミはナナに敵意を向けて来た。
「ハナイは、私のモノよ」
「なっ……」
言うや否や、ナナに向かい五条の鞭が襲いかかってきた。