【第172話】蒼狼渓谷

 助けたケンタウロスの少女は自らをハクニーと名乗った。
 ハクニーは腰まで流れる亜麻色の髪の乙女で、白く繊細な肌の持ち主であった。
 だがその下半身はさらに白い毛並みをしており、泥で汚れてさえいなければ、美しさに誰もが目を止めるであろう。
 首や胸、腕を装飾品で覆っており、それなりの身分の者だという事も見て取れた。
 その彼女の案内で、一行は今蒼狼渓谷ウルブスバレーと呼ばれる渓谷に向かっていた。

「兄たちが、ハイランドの騎士たちに殺されてしまう」

 そう怯えるハクニーを先頭に、ウシツノとタイランが後に続いて平原をひた走る。
 スピードについていけないシオリとアカメはハクニーの背に跨っていた。

「大丈夫? 二人も乗せて、重くない?」

 シオリがハクニーの耳元寄せて声をかけるもハクニーは何でもないと首を振る。

「平気です。もともと私たちケンタウロス族は、ハイランド騎士の乗馬として訓練されていました。この程度は問題ありません」
「ケンタウロス族はハイランドの軍隊所属なのか」
「そのようですね」

 ウシツノとアカメにタイランが相槌を入れる。

「そうだ。ハイランドを大国足らしめたのは、騎士とケンタウロスという組み合わせが最強の騎兵隊であったからこそなのだ」
「それももう昔の話です。広大な平原に囲まれたこの地では、最強の騎馬民族を謳ったハイランドですが、あれ以来……」
「亜人戦争か」

 三十一年前、西側の辺境大陸ノーマンズランドと東側の緑砂大陸グリーンランド間で戦争があった。
 世にいう〈亜人戦争〉である。
 その戦争では主に西の辺境大陸側が戦場となった。
 東の大陸よりも山岳地や沼沢地方の多い西側では、ハイランドの騎兵隊は満足いく戦果を挙げられなかったと言われている。
 そして最終決戦地となったアークティック平原にて、ハイランドの聖賢王シュテインが討たれ、その二日後、亜人連合軍の総大将、ワニ族の凶獣王サルコスクスが討たれたことにより終戦となった。

「その両名を討ったとされているのが、突如現れた〈百獣の蛮神〉ズァという男だそうだ」
「ズァ。親父から聞かされたことがある。人間のようであって獣のようでもあった、と」
「そうか、大クラン・ウェル将軍はズァを間近で見たかもしれんのだな。ズァの評価を聞きたかったものだ」
「動けなかった。そう言ってましたよ」
「将軍ほどの御仁がか」

 さすがにタイランも驚きを隠せずにいた。

「見えました! 蒼狼渓谷、ウルブスバレーです」

 ハクニーの声がウシツノとタイランの会話を打ち切った。
 先程から景色は変化していた。
 ところどころに岩が点在していた丘陵地帯から、徐々に荒れ地へと変わり、すでに一帯は高低差の多い渓谷へと差し掛かっていた。

「ここはどの辺なんだ?」
「ハイランドの南部、この渓谷を超えると砂漠が広がります」
「もしかして、その砂漠にあるのはエスメラルダ古王国でしょうか」
「その通りです」

 ウシツノとアカメの疑問にハクニーが答えた。

「ニンゲンの大国が二つ、隣り合わせなんだな。その割には無防備に見えるが」
「その両国は友好関係にあったはずですし、特に問題もないのでしょう」
「いた! 兄さんッ! まだ生きてる」

 ハクニーの弾んだ声を聴き、前方の谷底を確かめると、そこに何人かのケンタウロスの姿が見て取れた。
 みな屈強な体つきをしており、そろって逞しい戦士の風貌であったが、状況は予断を許さないようだった。

「おい、襲われてるぞ! なんだ、あのでかい獣は」

 ウシツノの言うとおり、渓谷の底の部分にて、ケンタウロス族の戦士たちが獣の群れに襲われていた。
 その獣どもは蒼い毛並みを持つ四足獣。
 獰猛な唸り声をあげながら鋭い牙と爪で戦士たちに襲い掛かっている。
 一匹一匹の体もでかく、相対しているケンタウロスたちと大差ないほどの巨体である。

「バルカーンです! ウルブスバレーを根城にする獰猛な狼! でも、あんなにたくさん、どうして」

 ケンタウロスたちの応戦でバルカーンと呼ばれる狼は次々と倒されていく。
 だがその数は減ることはなく、むしろ増えつつあった。

「谷の向こうからも狼が続々やってくるようですが」
「戦い続けても無駄だ。彼らも早く逃げに徹した方が……ん?」

 目を凝らしたウシツノは、狼と戦うケンタウロスたちの足が鎖に繋がれているのに気が付いた。

「あれを見ろ」

 タイランが反対側の崖の上を指差す。

「あれは! ハイランドのパペット騎士」

 先ごろウシツノが倒した重装型人形アーマーパペットが三体、ウシツノたちとは反対側の崖の上に立っていた。

「ひとり、何か持っているな。犬笛か?」

 細い鎖につないだ筒を手首の回転で小さく振り回している。

「微かな風切り音がする。あれで狼どもを呼び寄せているのだろう」
「とにかく助けないと」

 シオリの声にウシツノが頷きアカメを見る。

「アカメ」
「はい。まずはあの犬笛です。一刻も早くあれを取り上げねばなりません。タイランさん」
「任せろ」

 バサッ! と羽ばたきひとつ、タイランが空中に飛びたつ。
 パペット騎士の視界の外から迂回して急襲するつもりのようだ。

「ウシツノ殿、そしてシオリさん」
「おう」
「は、はいっ」
「どうぞ、暴れてきてください」

 ニヤッと嗤い、ウシツノが刀を抜く。

「で、でも、この崖、どこから降りるの?」

 ハクニーの背から滑り降りたシオリは、谷底を覗き見てそのあまりの高さに声を震わした。
 すかさずウシツノが近付くと、

「え! きゃっ」

 有無を言わせずシオリをおんぶして崖下へとジャンプした。

「え、え、えーーーーーーーーっ」
「大丈夫だ、このくらいの高さ! しっかりしがみついておけ」

 何十メートルもの高さに見える谷底へ飛び降りたウシツノは、崖のくぼみやでっぱりを経由しつつ、足をたわませ飛び跳ねながらぴょんぴょんと下っていく。
 その背でシオリが目を回しながらしっかりとウシツノの首に両腕を回してしがみついていた。

「シ、シオリさんまで! 危険です」

 ハクニーの声にアカメが笑って首を振る。

「いえ、平気でしょう」
「バルカーンは戦士でなければ立ち向かえませんッ」
「私たちの中で、一番強いのが彼女ですので」
「えっ?」

 信じられない、といった顔でハクニーは谷底へ下りたシオリの姿を探そうと目を凝らした。

「さあ、私たちも下りましょう。なに、急ぐことはありません。下へ着くころには終わってますよ」

 のほほんと歩き出すアカメを見て、ハクニーは先程までの焦燥感をすっかりと拭い去られていた。

※この作品は小説投稿サイト「小説家になろう」にて掲載、鋭意連載中です。

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